道明寺天満宮・道明寺

梅まつり開催中の道明寺天満宮に行ってきました。
道明寺天満宮が御鎮座されているのは大阪府藤井寺市道明寺です。この地名は菅原道真公の号「道明」から来ているそうで、道明寺は菅原道真公と深いつながりがあります。

  • 垂仁天皇32年、野見宿禰が埴輪を作った功績により、土師の姓とこの地を与えられた。土師氏の子孫によって、天穂日命(あめのほひのみこと)をおまつりする土師神社が創建された。
  • 推古天皇2年(594)、土師八嶋が自宅を寄進し、土師寺を建立しました。
  • 菅原道真公の叔母・覚寿尼が住んでいたため、道真公は何度か訪れていた。
    「雨中錦を着て故郷に帰る」という句が入った詩を詠んでおり、ここを故郷と考えていたことが伺える。
  • 昌泰4年(901)、大宰府へ向かう途中にも土師寺に立ち寄り、覚寿尼との別れを惜しんだ。
  • 延喜3年(903)、道真公が死去。
  • 天暦元年(947)、天満宮が創建され、土師寺は道明寺に改称された。
  • 明治の神仏分離令により、道明寺天満宮と道明寺に分離された。

道明寺天満宮

梅まつりが開催されていることもあって、多くの人が訪れていました。

本殿の裏にある桃園では、桃が満開でした。ここには80種、800本の桃が植えられているそうです。

桃園の奥におまつりされているのは、土師寺を創建した土師八嶋です。 菅原道真公は土師氏の流れをくんでいました。曾祖父・土師宿禰古人の時代に姓を「土師」から「菅原」に改めたそうです。

宝物館では、宝物が公開されていました。 数多くの宝物とともに、道真公の遺品6点(国宝)が展示されています。
硯、帯、櫛、鏡、刀、笏です。
1000年前の人が使っていた品を実際に見ることができました。 この硯で墨をすり、漢詩を作ったりしたのでしょうか。 実物を目にすると、菅原道真公を少し身近に感じることができます。

本殿前の能楽殿では、梅まつりの催しが開かれていました。歌手の方が「ここは河内だから」と河内音頭を歌い出し、観客が手拍子をとっていました。
ここは河内なのか、と意外に思いました。だんじり祭で有名な岸和田のあたりが河内だと考えていました。それと、よしもとの芸人の影響もあり、河内というと荒っぽい言葉やガラが悪いイメージがありました。でも、実際にはそんなことは全くないのですね。

道明寺

次に、道明寺天満宮から徒歩5分ほどの場所にある道明寺へ行ってみました。 こちらは道明寺天満宮とは違い、落ち着いた雰囲気です。

土師八嶋が寄進した土師寺の開基は聖徳太子で、道明寺は聖徳太子霊跡でもあります。
※道明寺天満宮は菅公聖蹟二十五拝のひとつ
ご本尊の十一面観音菩薩立像は、菅原道真公が自ら刻んだとされています。 この像は国宝で、毎月18日と25日には拝観することができるそうです。

大宰府へ向かう途中、叔母・覚寿尼を訪ねた道真公が詠んだとされる歌が伝えられています。

鳴けばこそ 別れも憂けれ 鶏の音の なからん里の 暁もかな

覚寿尼との別れを惜しみ、思いのほか早く鳴いた一番鶏によって、早朝の出立を余儀なくされる気持ちが表現されているそうです。 叔母をとても大切に思っていたのでしょうね。