超国宝展・奈良国立博物館

奈良国立博物館で開催されている「超国宝展」に行きました。
以前、大阪市立美術館の国宝展でチケット購入に時間がかかった反省から、今回はあらかじめ入場券を購入し、 開館時間前に到着しました。しかし、すでに長蛇の列ができており、人気の高さに驚きました。

入場してすぐのところに重源上人の像がありました。
背をやや丸め、首を突き出しています。しわくちゃの老人の顔ですが、今にも語りかけてきそうな、小うるさそうな雰囲気がします。この顔で意見を述べられると、誰もが従わざるを得なかっただろうと思わせる迫力を感じました。

重源上人は中国(宋)で仏教と建築を学び、大仏様(だいぶつよう)という建築様式を確立しました。 この様式を代表するのが東大寺南大門です。また、播磨・小野市にある浄土寺浄土堂(国宝)も大仏様で建てられています。

平重衡による南都焼き討ちで焼失した東大寺の復興を引き受けたのは、重源上人が61歳のとき(養和元年/1181年)でした。それから14年後には東大寺大仏殿を再建し、建仁3年(1203)には東大寺再興の総供養を行います。このとき、重源上人は83歳。当時の平均年齢は知りませんが、 驚異的なエネルギーには感服させられます。

この像は秘仏とされ、年に2回しか開帳されません。今回、重源上人の像を拝見できたのは貴重な機会となりました。

続いては百済観音像です。
すらりとした長身に、ほっそりとしたお体。 面長の顔立ちが個性的です。飛鳥時代に作られたとされていますが、この像のモデルになる像や参考にしたものはあったのでしょうか。
何もないところから、これほどの造形を創造した仏師は天才的だと感じました。

聖武天皇の御宸筆とされる賢愚経(大聖武)が展示されていました。
太く、力強い筆跡。聖武天皇には病弱で弱いイメージを持っていたのですが、この文字からは弱々しさを感じません。
1300年も前に書かれた文字をこうして目にすることができるのは奇跡のようです。
しかし、もし自分の字が偶然にも千年後まで残ってしまったら、30世紀の人々に「へたくそな字だなあ」とか言われてしまいそうで、ちょっと嫌です。

超国宝展の目玉の一つである七支刀。
七支刀の形に合わせてくり抜かれたボードに収められ展示されていました。最初に抱いた印象は「意外に小さい」ということでした。
七支刀は最新技術を用いた銘文の解読が進められており、369年に作られ、百濟と日本 (倭) の友好のために百濟王から倭王に贈られたと考えられています。

数々の国宝を見ることができて、大いに楽しめました。また、博物館の裏手にある庭が美しかったのも印象に残りました。