鶴岡八幡宮の境内の東西に設けられた源平池。西の平家池、東の源氏池のどちらも広大な池です。現在は蓮の葉で埋め尽くされています。残念ながら蓮の花は開いていませんでした。

東側の源氏池の中の島に鎮座しているのが、旗上弁財天社です。
神社の由緒記には、次のような話が紹介されています。
- 治承4年(1180)8月、源頼朝公は源氏再興の旗を掲げましたが、石橋山の戦いに敗れ、房総半島に転じた。
- 同年10月に源頼朝公は鎌倉に入り、鶴岡八幡宮を創建。居館を定め、平家討伐の本拠とした。
- 寿永元年(1182)、妻の北条政子は大庭景義に命じて境内の東西に池を掘らせた。東の池(源氏池)には3つの島を設け、「三」は「産」に通じるとして源氏の繁栄を祝い、西の池(平家池)には4つの島を造り、「四」は「死」に通じるとして平家滅亡を祈願した。
- そして、この東の池の中島に弁財天社を祀った。
- 明治の神仏分離の際に、当社は取り除かれたが、昭和31年(1956)に再興された。
- 昭和55年(1980)には、鶴岡八幡宮創建800年を記念し、文政年間の古図に基づいて現在の社殿が復元された。

朱色の橋を渡り、社殿へと向かいます。
境内には源氏の白旗が林立し、その中で普通の鳩に混じって白い鳩の姿が見られます。
「源氏だから白い鳩がいるのか!」と感心していると、遠足に来ていた小学生が「このハト、頭がはげている~」と叫びました。よく見ると、後頭部が確かにはげていました。羽毛が抜け落ちたようで、皮膚のピンクが痛々しい。
鶴岡八幡宮のハトから着想を得て生まれたのが豊島屋の「鳩サブレー」です。普通の灰色の鳩より、白い鳩の方が鳩サブレーのイメージにはしっくりきます。

明治の神仏分離の際に取り除かれた弁財天社は、仏教の施設と見なされたのでしょう。
弁財天はインドの神様ですが、日本では神仏習合によって神道の市杵嶋比売命(いちきしまひめのみこと)と同一視されていました。
このことが、神仏分離の対象となった理由かもしれません。

神社の左手奥には、「政子石」と名付けられた2つの石があります。
源頼朝公が妻・政子の安産を祈願したとされる石で、恋愛成就、夫婦円満、子宝、安産祈願のパワースポットになっています。
