京都国立博物館「美のるつぼ」展

京都国立博物館で開催された特別展「美のるつぼ」を楽しんできました。

特別展のタイトルである「美のるつぼ」について、京都国立博物館のホームページにはこう説明されていました。

古くから、日本列島では海を介した往来によって異文化がもたらされ、その出会いのなかでさまざまな美術品が作り出されてきました。その作品のひとつひとつが豊かな交流の果実 であり、いうなれば、日本という「るつぼ」のなかで古今東西の多様な文化が溶け合って、生まれた奇跡といえるでしょう。

京都国立博物館の「美のるつぼ」展のホームページより

つまり、海外から入ってきたさまざまな文化に触発されたり、日本古来のものと混じり合ったりすることで、新しい芸術が生み出されてきた、ということでしょう。

さっそく入館してみると、最初に展示されていたのが羅怙羅尊者像(らごらそんじゃぞう)でした。
腹を左右に開き、その内側にある顔を見せている。
想像を絶する衝撃的なデザインです。

京都府宇治市にある黄檗宗の大本山である萬福寺に所蔵されている羅怙羅尊者像は、中国福建省出身の仏師・范道生(はんどおうせい)によって造られました(寛文4年/1664年)。
腹を割って自分の中に仏がいることを見せている姿は、仏の教えを理解し、体現することの重要性を示しているのだそうです。

そして、その隣には、さらに驚くべき宝誌和尚立像(ほうしわじょうりゅうぞう)が展示されています。
顔が中央から2つに割れて、中から別の顔が現れているのです。
これは『宇治拾遺物語』に収められている説話をもとにしているようです。

昔、中国にいた宝誌和尚を描くために3人の絵師がやってきた。いざ、描こうとすると、宝誌和尚が「本当の姿を見せる。それを描きなさい」と言うと、額の皮が裂け、中から十一面観音が姿を現した。

宝誌和尚立像は、残念ながら撮影が許可されていませんでしたが、この二体の仏像を見て「仏像は意外と自由なんだな」と感心しました。

今回の展覧会のテーマ通り、海外との貿易で日本から輸出したものや、輸入した名品が展示されています。
江戸時代は鎖国をしていましたが、日本の職人が作った数多くの美術品、工芸品がたくさん輸出されていたようです。

風神雷神など、教科書で見たことがあるような作品も数多く展示されていました。

葛飾北斎の「赤富士(凱風快晴)」や「神奈川沖浪裏」は特に人気があり、鑑賞の列が前に進みません。
これら二つの作品は葛飾北斎が70歳から72歳頃に描いたものです。

北斎は生涯に何度も名前を変えており、当時は為一(いいつ)という画号を使っていました。
その後、「画狂老人卍(がきょうろうじんまんじ)」と名乗ります。70歳を超えた老人が名乗ったとは思えない、強烈な印象がある名前です。

当時、浮世絵は一枚およそ20文で、現在の価値に換算すると数百円程度とされています。
そんな浮世絵を、列をなして、ありがたがって見入っている現代人を「画狂老人卍」が見たら、何と言うでしょうか。ぜひ、聞いてみたいものです。