晴明神社は陰陽師・安倍晴明公をお祀りする神社です。 神社が鎮座するのは京都市上京区晴明町。晴明公の屋敷跡に社殿が設けられたといいます。
創建は寛弘4年(1007)です。晴明公が亡くなったのは寛弘2年(1005)なので、亡くなって2年後に創建されたことになります。

鳥居についているのは「晴明桔梗紋」と呼ばれる紋様です。 直線で構成された星のような形ですが、桔梗の花を表しています。また、この形は五芒星とも呼ばれ、魔除けの印とされています。

拝殿の前には安倍晴明公の座像があります。
向かって右手にあるのは「厄除桃」です。陰陽道では、桃は魔除け、厄除けの果物とされており、「自分の厄をこの桃に撫でつけてください」と説明されていました。

「厄除桃」の隣は御神木の楠木です。「樹皮に触れると独特の感覚があります。両手を当てて大樹の力を感じ取ってください」と案内されていました。さっそく試してみましたが、特別なものは感じられませんでした。

鳥居を入ってすぐのところにある石橋は、「一条戻橋」を模して造ったものです。
一条戻橋には数々の逸話が残されています。
- 延喜18年(918)、文章博士で参議だった三善清行の葬列がこの橋を通った際、熊野で修行中だった子浄蔵が帰ってきて、棺にすがり父の死を嘆いた。すると、雷鳴がとどろき、清行が生き返った。
- 橋はもともと「土御門橋」と呼ばれていたが、上記の出来事があって、「一条戻橋」と呼ばれるようになった。
- 阿倍晴明は「式神」と呼ばれる鬼神を操っていましたが、妻が屋敷に置いた式神を怖がるので、戻橋の下に隠した。
- 頼光四天王の一人、渡辺綱が戻橋のたもとで美女に出会った。この女が鬼だと見破った渡辺綱は「髭切の大刀」で鬼女の片腕を切り落とした。
- 千利休がこの橋でさらし首にされた。
どの話も不気味な要素を含んだ話でした。