川崎大師

京急川崎大師線に乗って、川崎大師を訪れました。
訪れた日は雨混じりの天気で、時間も遅かったため、仲見世には店じまいをしている店がありました。

仲見世通り

仲見世通りを抜けると大きな山門が姿を現します。
この山門は、開創850年の記念事業として昭和50年(1975)に建立されました。

山門

2年後の令和9年(2027)には開創900年の節目を迎える川崎大師は、平安時代末期の大治3年(1128)に創建されました。正式名称は『金剛山 金乗院 平間寺(へいけんじ)』と言います。
川崎大師の創建には平間寺の由来となった平間兼乗(ひらまかねのり)のストーリーが伝えられています。
境内の「厄除弘法大師略縁起」からまとめてみました。

  • 平間兼豊と兼乗の親子は無実の罪で生まれ故郷の尾張を追われ、川崎にたどり着いて漁師として暮らしていた。
  • 兼乗は深く仏教に帰依し、特に弘法大師を崇敬していた。
  • 兼乗が42歳の厄年のとき、夢枕に現れた高僧のお告げに従い、海中から木像を拾い上げた。それは大師の像であった。兼乗は喜び、像を清めて供養を捧げた。
  • 諸国遊化の途中に兼乗のもとに立ち寄られた高野山の尊賢上人は、その尊像とその霊験奇瑞に感激され、兼乗と力を合わせ、大治3年(1128)に一寺を建立した。
  • 兼乗の姓である平間から『平間寺(へいけんじ)』と号し、ご本尊を厄除弘法大師と称して奉った。
  • 長承3年(1134)、お大師さまのご加護ご利益により無実の罪が晴れた兼乗は、生まれ故郷の尾張に帰った。
境内の「厄除弘法大師略縁起」から要約

こうして創建された川崎大師は、毎年初詣には300万人もの人が訪れる大きなお寺です。
京都の智積院を総本山とする真言宗智山派の大本山であり、西新井大師總持寺(東京都足立区)、観福寺(千葉県香取市)と並ぶ関東厄除け大師の一つとされています。
昭和39年(1964)に落慶された大本堂には御本尊の厄除弘法大師が安置されています。

大本堂

川崎大師は第二次世界大戦の大空襲で全焼したため、境内の建物は戦後に再建されました。
そのなかで、「奇跡の銀杏」と名付けられたイチョウは空襲を耐え抜き、元気によみがえっています。
植物の力はすごいですね。

「奇跡の銀杏」

境内には第55代横綱「北の湖」の像があります。北の湖は優勝回数24回を誇る大横綱で一時代を築きました。その北の湖を破って横綱になったのが千代の富士です。千代の富士も優勝回数31回の大横綱。千代の富士を破って横綱になった貴乃花も時代を築いた横綱でした。
白鵬、照ノ富士が引退した後、久々の日本出身横綱となった大の里。大の里には、新しい時代を築くことを期待したいです。

「北の湖」の像

川崎大師からの帰り、改札の横にモニュメントを見つけました。
「けいきゅん川崎大師」と書かれています。

「けいきゅん川崎大師」モニュメント

車輪のモニュメントの下に何やら書かれています。
京急電鉄の歴史でした。
なんと、川崎大師線が京急の発祥だったのです。
川崎から川崎大師までのわずか2キロメートルの短い鉄道でした。
それが今では、総延長87キロメートルの大鉄道に発展を遂げました。
京急がこんなに大きくなったのも、川崎大師様のお助けがあったからかもしれませんね。