六道珍皇寺

バスを降りて清水道を歩いていくと、朱色がかった門のお寺があります。 六道珍皇寺です。
門前には『六道の辻』の碑が建っています。

仏教では人が亡くなると「天道」「人間道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」のいずれかに生まれ変わるとされています。この6つの道を「六道」といいます。

今は観光客であふれているこの界隈も、平安時代は「鳥辺野」と呼ばれる葬送の場でした。しかも、当時は遺体を風葬していたといいます。どれほどの遺体がここにあったのか。
鳥獣に食べられたり、腐乱したりする遺体。その臭い。想像するだけでも、恐ろしい。
まさに、ここは死者が次の世に生まれ変わるための辻、入口だったのです。

『今昔物語集』には、平安時代の公卿であった小野篁が愛宕寺(おたぎでら)を建立したという話が記されています。この愛宕寺が現在の六道珍皇寺の前身であるという説がありますが、創建については諸説あり、明確にはなっていません。

そして小野篁には、昼は朝廷で働き、夜は閻魔大王に次ぐ裁判官として、あの世へ送られた人々を裁いていたという伝説があり、六道珍皇寺にある井戸を使ってあの世と行き来したとも伝えられています。

実際の小野篁は出世を重ねた有能な官吏であり、白居易に並ぶと評される詩人でもありました。遣唐使の副長に選ばれるも、船の不備を理由に乗船を拒否し、『西道謡』という詩を作って朝廷を批判し、隠岐の島への流罪になるという反骨精神を持ち合わせていました。背は6尺2寸(約190センチ)もあったという大男で、「野狂」とも呼ばれました。並外れた胆力を持った人物です。

境内のお堂には閻魔大王と小野篁の像が安置されています。
閻魔大王は目をむいた怖い形相をしており、小野篁はその長身を活かして上から見下ろしています。あの世で、この二人の前に突き出されると怖いですね。
特に小野篁には冷酷さを感じます。

小野篁が使ったとされる「黄泉がえりの井戸」「黄泉通いの井戸」を見たかったのですが、特別拝観のときにしか公開されないとのことで、見ることはできませんでした。

境内には「迎え鐘」の鐘楼があります。
土の中に埋めて三年間経ったその日に掘り出すと、誰も鐘を撞かなくても勝手に一刻ごとに鳴るという特殊な鐘でしたが、三年を待たずに掘り出して鐘を撞いてしまったので、普通の鐘になってしまったというエピソードが残されています。
その時の鐘の音は唐まで聞こえたとされており、「唐まで鳴り響く鐘ならば、冥土にも届くはずだ」ということで、お盆でご先祖様をお迎えする「迎え鐘」と呼ばれています。

鐘は鐘楼の中に完全に隠れており、鐘楼から飛び出ている綱を引くと鐘が鳴ります。
強く引けば大きく鳴り、ゆっくり引けば静かに鳴る。綱を引く人の気持ちが鐘の音に込められます。

六道の辻、小野篁の冥土通い、迎え鐘。六道珍皇寺は死者と生者の架け橋の役目を担ってきたと感じました。