大阪府羽曳野市の壺井地区は源義家、源頼朝、足利尊氏、武田信玄などにつながる河内源氏の本拠地として知られています。
河内源氏二代目の源頼義によって創建された壺井八幡宮や、河内源氏の菩提寺であった通法寺跡が残っています。
壺井八幡宮
壺井八幡宮は前九年の役(1051年~1062年)を平定した源頼義によって、康平7年(1064)に創建されました。

真っ白い鳥居をくぐって、正面にある丘を登ると壺井八幡宮の境内です。
拝殿へと続く参道の緑がきれいです。
源義家が生まれたことを記念して植樹されたという、樹齢約千年の大きな楠木(大阪府天然記念物)は、四方八方に広がる太い枝が荒々しい力強さを感じさせました。


壺井は河内源氏の本拠地ですが、源氏の故郷と言えるのは兵庫県川西市多田です。ここに源氏の祖といえる源満仲が拠点を構えていました。
源満仲には嫡男の頼光、次男の頼親、三男の頼信などの子がいました。大江山の鬼退治で知られる源頼光からは摂津源氏が生まれ、源頼親から大和源氏が生まれます。
三男の源頼信は河内に拠点を構え、頼信から源頼義、源義家と続く河内源氏が誕生しました。
そして、この河内源氏から多数の名だたる武将が輩出されました。源頼朝や徳川家も河内源氏に属します。
※源頼朝は間違いなく河内源氏の嫡流ですが、徳川家はその系譜に諸説があります。
まさに、河内源氏は武将のエリート一族です。このエリートたちの祖先が暮らした場所が壺井地区というわけですね。
参道の正面には八幡宮の社殿があり、左側には壺井権現社があります。
八幡宮の屋根は、柔らかな印象の美しい桧皮葺の屋根でした。

八幡宮と権現社は元禄時代に徳川綱吉によって再建されたもので、平成7年に復元されたそうです。源氏の発祥の地といえる兵庫県川西市にある多田神社でも、徳川家によって社殿が再建されているので、「我々は源氏の子孫である」ということを意識していたのだと思います。

壺井権現社には源頼信、源頼義、源義家、源義綱、源義光が祀られています。壺井権現社は京都市の六孫王神社や川西市の多田神社と並んで、源氏の祖霊を祀る重要な神社とされる「源氏三神社」の一つとされています。
通法寺跡、河内源氏三代の墓
壺井八幡神社の南には河内源氏の菩提寺であった通法寺の跡や源頼信、源頼義、源義家の墓が残っています。
通法寺は源頼義が創建した寺でしたが、明治元年(1868)の廃仏毀釈により廃寺となり、山門や鐘楼跡が残っているだけです。

源頼義の墓は山門を入ったところにありました。

ウィキペディアによると石の墓標や柵は明治の末に造られ、石灯籠は元禄年間に柳沢吉保から寄進されたものだそうです。
源頼信と源義家の墓は少し離れた丘にあります。案内看板がないのでわかりにくいですが、丘に登る道があるので、道を進むと墓にたどり着けます。


壺井八幡宮は手入れが行き届き、きれいに整えられていますが、通法寺跡や河内源氏三代の墓は草が生え茂り、「夏草や 兵(つわもの)どもが夢の跡」を思い起こしました。
河内源氏として武士団を形成した彼らは大きな夢を抱いていたのかも知れませんね。


















