聖徳太子が眠る寺・叡福寺

大阪の叡福寺に聖徳太子の陵が残っているという話を知って、叡福寺を訪問しました。

聖徳太子の実存を疑う説もあるのに、陵が残っているとは。それなら、聖徳太子が実存したのは確実ではないかと思いました。

叡福寺は大阪府南河内郡太子町にあります。
町名の「太子」は聖徳太子との結びつきを伺わせます。
この辺り一帯には推古天皇陵、太子の父の用明天皇陵など天皇陵や古墳が点在しており、難波と飛鳥を結ぶ古代の官道・竹内街道が通っています。

奈良・飛鳥とこのあたりは、地理的にも文化的にも意外と近い関係にあったのかもしれません。

推古天皇30年(622)に聖徳太子が薨去し、太子自らが選んだ磯長廟(しながびょう)に埋葬されました。
そして、推古天皇より方六町の地を賜り、廟を守るため墓守の家を10軒置いたのが叡福寺の創建とされています。

広い境内の奥に太子が眠る聖徳太子御廟があります。

御廟は直径54メートル、高さ7メートルの円墳です。
廟には太子が薨去する前日に亡くなった妃・膳部大郎女(かしわべのおおいらつめ)と、2か月前に亡くなった母・穴穂部間人(あなほのべのはしひと)皇后と共に埋葬されていると伝えられ、三骨一廟と呼ばれています。

現在、御廟は宮内庁によって管理され、石室内に入ることはできませんが、江戸時代までは入れたそうです。
叡福寺の近くにある「近つ飛鳥博物館」には御廟の内部を復元した模型が展示されています。

三骨一廟は3人が眠っているというだけではなく、思想としても発展し、宗教界に影響を与えました。「太子廟窟偈」という石碑にその思想が説かれています。

聖徳太子が遺言の形として記された偈文。御母・穴穂部間人が阿弥陀如来、御后・膳部郎女が勢至菩薩、太子が観世音菩薩の化身とされる。当地が大乗の教えを説くのに最適の地であるとし、一度この御廟を参詣すれば極楽浄土へいけるとも説かれている。

「太子廟窟偈」の説明板より

そのため、親鸞聖人、一遍上人、日蓮聖人、良忍上人といった仏教の開祖たちが叡福寺を訪れています。

御廟の周りには「結界石」が並んでいます。
弘法大師が一晩で建てたと伝えられますが、江戸時代中期に造られたと考えられています。
下段と中段の結界石があり、下段は478基、中段は448基あるそうです。

五字ヶ峰にも登ってみました。
「太子が黒駒に乗り、全国を行脚している道中、富士山頂に至った折、西方より五色の光を見出された場所」という五字ヶ峰です。
標高105メートルの頂上には宝篋印塔がありました。

叡福寺の向かいには西方院というお寺があります。
聖徳太子の乳母を務めた三人の蘇我氏の娘が建てたという寺で、日本最初の尼寺と言われているそうです。

聖徳太子の父である用明天皇陵や叔母の推古天皇陵もある太子町は、本当に聖徳太子との縁が深い地域だと思いました。