宍粟・長源寺

国道29号線、引原ダムのそばに長源寺があります。
境内には、次のような由来が記されています。

大同二年(八〇七)八月十五日 坂上田村麻呂公の一子 氏助公が京都清水より播州清水寺へ そして此の地に到りました。
当地開拓に当り 揖保川源流域を占める者として、「流域住民の繁栄と水の恵み」を願って祭祀されたのが始まり、と伝えられています。

境内の「弁財天堂由来」より

長源寺には1200年を超える歴史があるのですね。
坂上田村麻呂の子という氏助について調べましたが、史料は残っていないようです。

弁財天をおまつりする弁財天堂は平成12年(2000)に再建され、懸造(かけづくり、舞台造)となっています。
坂上田村麻呂が京都の清水寺を創建したので、清水寺にならって懸造が採用されました。

長源寺が面している国道29号線は、かつての因幡街道であり姫路と鳥取を結ぶ街道でした。
羽柴秀吉が鳥取城を攻めたときも、この道を使って鳥取との間を往来しました。
秀吉は長源寺にも立ち寄りました。
石碑の前の平べったい石が、秀吉が沓を脱いだとされる「太閤石」のようです。

長源寺の前の音水湖(引原ダム)は静かに広がっています。
長源寺の前の道は、さまざまな人々が往来したことでしょう。

因幡街道には国道29号線の若桜街道ルート(長源寺の前を通る)と国道373号線の智頭往還ルートがあります。
鳥取藩の参勤交代には智頭往還ルートが使われました。若桜街道ルートは庶民の物資の運搬ルートとして使われたそうです。
秀吉の鳥取城攻めでは、物資の輸送や兵の移動に適した若桜街道ルートが用いられたと考えられています。