姫路・大塩城跡

姫路市大塩にはその地を領した大塩氏の城跡が残っています。

まず訪れたのは、山陽電鉄大塩駅の北側にある「西法寺」です。ここは、大塩氏の居館であった北脇構居(きたわきかまえ)の跡地に建てられたとされています。

西法寺

境内の説明板には大塩氏の歴史が記されていました。
それによると、大塩氏の祖である藤原茂景・景元は、南北朝時代の1355年に起きた神南合戦(摂津国神南での北朝・足利義詮と南朝・山名時氏の戦い)において、赤松則祐に従い武勲を挙げたことで、大塩庄を拝領したといいます。 これを機に、茂景は苗字を「大塩」と改めました。合戦前夜に獅子が奮戦する夢を見たことが勝利に繋がったとして、獅子を守り神としたという伝説も残っています。

しかし戦国時代、大塩氏は毛利氏に味方したため、羽柴秀吉の播磨攻めに遭い敗北。慶長5年(1600年)には、大塩直家が福岡黒田氏の家臣・野村家に仕えることとなりました。その家系は、現在も福岡市や大分県中津市へと続いているそうです。

次に、日笠山連山の大塩氏の山城を訪ねました。
姫路市と高砂市を結ぶ馬坂峠を登っていきます。道は細く、自動車は通れません。昔から人と馬が行き来していたことを思わせる峠道です。

ノジギク群生地でもある峠の最高峰から牛谷方面へ進み、美しい竹林(竹林坂)を通って、10分程度歩くと城跡に到着します。

城跡に掲げられたプレートには、次のような記述がありました。

天正6年(1578年)、羽柴秀吉によって落城。当時の武将・大塩次郎左衛門は三木城で戦死し、小六景麗(かげよし)が城主だった。

三木合戦の悲劇と連動するように、ここ大塩でも、秀吉によって運命を変えられた武将たちがいました。