鹿児島・照国神社

鹿児島城山のふもとに鎮座する照国神社は幕末の薩摩藩藩主・島津斉彬公をお祀りする神社です。

島津斉彬公

文化6年(1809年)誕生
嘉永4年(1851年)、薩摩藩第11代藩主となる。

  • 藩の「富国強兵」「殖産興業」に努め、西洋式工場群「集成館」を設立する。
    集成館では、洋式軍艦の製造、反射炉・溶鉱炉の建設、ガラス工場の設立など、多岐にわたる事業が行われた 。
  • 安政2年(1855年)には日本初の洋式軍艦・昇平丸が完成。初めて「日の丸」が掲げられた。
  • 公武合体を主張する。
  • 西郷隆盛らを抜擢。

安政5年(1858年)7月、薨去。
文久3年(1863年)勅命により「照國大明神」の御神号が授けられる。
元治元年(1864年)照國神社が創建された。

神門

西南戦争により社殿は焼失し、復興した社殿も戦災で再び焼失しました。
現在は鉄筋コンクリート造りで造営されています。

拝殿

神社の敷地内には斉彬公の大きな銅像が建っています。

島津斉彬公

また、島津久光公、忠義公(第12代藩主)の銅像もあります。

島津久光公
島津忠義公

いずれの像も大正6年(1917年)に彫刻家・朝倉文夫氏によって作られました。

3人のうち忠義公だけが洋装をされています。
彼らが生きた時代は、世の中のシステムがすべて変わってしまう、本当に激動の時代でした。
鹿児島では明治維新後に西南戦争が起こっています。西郷隆盛をリーダーにして、薩摩の士族が戦いました。
久光公や忠義公は、明治維新後の新政府との関係や、西南戦争という激動にどう関わるべきかを、深く考え抜いたのでしょう。
忠義公の洋装には、新しい時代への覚悟が象徴されているのでしょう。

それにしても、斉彬公は本当に開明な君主で、すばらしい事績を残した人物です。
藩主の座についてわずか7年で亡くなられましたが、もし長生きしていれば、日本の歴史も変わったかもしれません。