照國神社の参拝を終えて、ぶらぶら歩いていると、ザビエル公園に行き当たりました。
正面には大きな石碑が立っています。
後日調べたところ、これは「ザビエル滞鹿記念碑(ざびえるたいかきねんひ)」という名称で、ザビエルが鹿児島に滞在したことを記念して建てられたものだとわかりました。

説明板には、以下のことが記されています。
- 1549年(天文18年)8月15日、イスパニア(スペイン)のザビエルは日本人ヤジロウ(鹿児島出身)の案内で鹿児島に上陸した。
- 島津家15代貴久はザビエルと対面し、領内での布教を許可したが、仏教徒の激しい反対にあったり、期待した貿易船がやって来なかったりしたため、貴久は布教に対して冷淡になっていった。
- 鹿児島を去ったザビエルは、平戸から山口、堺、京都まで足を延ばして日本におけるキリスト教伝道の道を開いた後、1551年11月にマラッカ(現在のマレーシア南西部)へと戻った。
- 1552年、ザビエルは中国で亡くなった。
日本人の誰もが知るザビエルが、日本にいたのが2年だけだったことに驚きました。
でも、文化や言葉の壁を乗り越えて日本にやってきたザビエルの勇気は、当時の日本人にとっても強烈なインパクトがあったのではないでしょうか。
公園には他にも、ザビエルと彼を案内したヤジロウ、そしてザビエルが洗礼を授けた最初の日本人であるベルナルドの像が建っています。

また、公園の向かいにはザビエルを記念した「カトリック鹿児島カテドラル・ザビエル教会」があります。
現在の建物は3代目の聖堂です。初代教会の石壁の一部が公園の石碑に用いられています。

ザビエル略年表
1506年 スペイン・ナバラ州ハビエルで、貴族の子として生まれた。
1534年 イエズス会の創立。ザビエルは創立メンバーの一人。
1549年 日本上陸。布教活動を行う。
1551年 日本を離れ、インド(ゴア)へ向かう。
1552年 中国(当時は明)の広東省で死去。
1553年 遺骸はゴアに移される。
1622年 聖人に列せられる。
その後のヤジロウとベルナルド
ヤジロウ
ヤジロウについては消息が不明ですが、以下の説があるようです。
①布教活動から離れて倭寇に戻り、最後は中国近辺で殺害された。
②仏僧らの迫害を受けて出国を余儀なくされ、中国付近で海賊に殺害された。
③鹿児島で、身を潜めて宣教を続けていた。
ベルナルド
1551年、ザビエルらとともに日本を離れる。
1552年2月にインドのゴアに到着。イエズス会修練院で教育を受ける。
1553年、ポルトガルのリスボンに到着。
1555年、ローマを訪れ、当時の教皇グレゴリウス13世に謁見する。
1557年、ポルトガルのコインブラで病により亡くなる。
ザビエルに会ったヤジロウもベルナルドは、波乱に満ちた人生を送りました。













