西郷隆盛洞窟

鹿児島中央駅から城山目指して歩いていくと、西郷隆盛の生誕地がありました。
西郷隆盛以外にも、大山巌、大久保利通などの生誕地も近くにあります。まるで一つの町内会が、明治維新やその後の日本を牽引したかのようです。

西郷隆盛生誕地碑

城山公園に登ると、鹿児島市街地の向こうに雄大な桜島が見えました。
鹿児島市から桜島まではわずか4km。桜島の噴火をテレビニュースで観ることがありますが、こんなに距離が近いことに驚きました。
現在も数日に一度は噴火をしているそうで、鹿児島市民は火山灰に慣れっこになっていると聞きました。

桜島

しかし、この城山は西南戦争の最後の激戦が繰り広げられた地です。
ふもとにある鹿児島城(鶴丸城)楼門の城壁には、無数の弾痕が刻まれています。城山に立てこもるわずか300名の西郷軍を、5万の政府軍が包囲攻撃したといいます。この圧倒的な兵力差による猛烈な攻撃のすさまじさが感じられる城壁です。

鶴丸城の城壁

城山を超えて反対側に降りると「西郷洞窟」があります。
ここは西郷隆盛ら薩軍が、最後の5日間を過ごした司令部跡です。

現存している2つの洞窟

興味を持って見ましたが、奥行きはそれほどなく、官軍の攻撃をしのぐ一時的な弾よけにすぎないように見えました。西郷ほどの人物が、最期にこのような洞窟に入らざるを得なくなったことに物悲しさを覚えました。

※西南戦争当時はもっとたくさんの洞窟があったが、シラス台地の地質により、崩落したり、土砂に埋まったりしたと考えられている。

明治10年(1877年)9月24日、洞窟を出た西郷隆盛を2発の銃弾が貫きました。
別府晋介の介錯により、西郷は49歳の人生を閉じ、西南戦争は終結しました。

西郷隆盛終焉の地(南洲翁終焉之地碑)

西郷隆盛の大きな像が立っています。上野公園とは違って、こちらは威厳ある陸軍大将の軍服姿で、傍らに犬はいません。

西郷は、果たして本当に東京まで進軍できると考えていたのでしょうか。
もし、薩軍が東京に達していたら、西郷隆盛はどうするつもりだったのでしょう。