飯豊皇女

飯豊皇女(いいとよのひめみこ)が執政を行ったという角刺宮(つぬさしみや)。そのあとに建てられたのが角刺神社です。

日本書紀では、第22代清寧天皇が崩御されたあと(西暦480年頃)、皇太子であった兄の億計王(第24代仁賢天皇)と弟の弘計王(第23代顕宗天皇)とが皇位を譲り合い、権力の空白期間が生まれたために、叔母もしくは姉に当たる飯豊皇女が政務を執り行った、と伝えています。

ピンチヒッターのように政治を行った飯豊皇女。
通常、日本最初の女帝は第33代推古天皇とされていますが、飯豊皇女こそが日本最初の女帝ではないかという説があります。

飯豊皇女が朝政を執られた角刺宮(つぬさしみや)について、『日本書紀』では「倭辺(やまとべ)に見が欲しものは忍海(おしぬみ)のこの高城(たかき)なる角刺の宮」と称されています。
素晴らしい建物だったようです。

角刺神社

境内には忍海寺(にんかいじ)や鏡池があります。

忍海寺は集会所のような雰囲気をしています。ずっとこの地域のコミュニティをつなぐ役割を果たしてきたことを示しているようです。
本尊である十一面観音菩薩立像は、飯豊皇女のお顔を写したものと伝えられています。

忍海寺

飯豊皇女が鏡として使っていたという鏡池には、當麻寺の中将姫がこの池の蓮から取った糸を使って當麻曼荼羅を織り上げたという伝説があります。

鏡池

角刺神社から200mほど東に「袖の松」という旧跡があります。
中将姫が、曼荼羅の糸を角刺神社の蓮から取りたいと祈願し、それがかなったお礼に植えたとされています。また、歯痛が起こったときに、この松に祈願すると歯痛が治まる「野口の歯神」として信仰されていたそうです。

袖の松

角刺神社から北へ500mほどのところに北花内大塚古墳・飯豊天皇埴口丘陵があります。
5世紀末から6世紀初頭に築かれた、周囲に濠がある全長約90mの前方後円墳です。

陵の遥拝所入口には「飯豊天皇」と書かれていました。宮内庁では、飯豊皇女を天皇と同格の扱いをしているようです。

飯豊天皇埴口丘陵

葛城市の忍海(おしみ、古くは おしぬみ )は、朝鮮半島から渡来した鍛冶技術集団(忍海氏)がこの地に定住し、鉄器を生産する拠点として栄えた地域です。
飯豊皇女の別名に「忍海部女王(おしぬべのひめみこ)」があります。飯豊皇女は忍海氏のバックアップを受けて政治を主導したのでしょう。

日本書紀に興味深い文章があります。

秋七月、飯豊皇女、於角刺宮、与夫初交。謂人曰、一知女道。又安可異。終不願交於男。此曰有夫、未詳也。

次のような意味です。

飯豊皇女は角刺宮で初めて夫と交わった。
周囲の人に「女の道を知った。何も変わったことはなかった。もう二度と男と交わりたくない」と言った。

政治を執った期間はわずか10か月ほどですが、このようなことを言い放ったのですね。
毅然とした感じがあって、なんだか格好いいです。