石清水八幡宮

桜の季節に石清水八幡宮を参拝しました。

石清水八幡宮は標高約140mの男山の山上に鎮座し、歩くと396段の石段を登らなければなりません。大阪からここまで自転車で来たことを考えると、ちょっとつらいかと思い、ケーブルカーに乗ることにしました。

車内は観光客で混んでいましたが、たったの3分で八幡山上駅に到着です。

ここから本殿までは約5分ですが、せっかくなので京都方面を望める展望台に立ち寄りました。
さえぎるものがないので、京都市街まで一望できます。
また、桜が満開で、谷崎潤一郎の文学碑が佇んでおり、立ち寄って良かったなと思えるスポットでした。

京都方面を望む

展望台を離れ、木々の中を歩きます。

境内に入ると、お参りの列が作られていました。
本殿は寛永11年(1634年)に徳川家光によって造営されたものです。石清水八幡宮では10棟もの建物が国宝に指定されています。
下の写真、行列ができているところは「楼門」です。屋根の上に建てられた2階部分の形が特徴的ですね。

石清水八幡宮の創建は貞観元年(859年)に大安寺の僧・行教が宇佐神宮で「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」 との神託を受け、平安京の裏鬼門(南西)にあたる男山に神様を祀ったことに始まります。
仏教僧が神社を創建したところが神仏習合の時代を示しています。

ご祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)、比咩大神(ひめおおかみ)、息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)の八幡大神です。

八幡神は清和源氏の氏神で、源義家は当社で元服して「八幡太郎義家」と名乗りました。
足利氏、徳川氏、武田氏など多くの武将からも崇敬を集め、織田信長の寄進と伝えられる「信長塀」が本殿を取り囲んでいます。

明治維新後の神仏分離によって、神宮寺の護国寺は廃寺とされ、本尊の僧形八幡神坐像などは他の寺に移されて仏教色が排除されました。

信長塀

山上でのお参りを終え、帰りはケーブルカーではなく、ふもとまで表参道を歩きました。

参道脇にはズラッと石灯篭が並んで、壮観です。

表参道は石段が続きます。下から歩いて上がってくる方もおられます。ケーブルカーがない頃は、皆この石段を登ってきたのですね。

ケーブルカーについて興味が湧いたので調べてみました。

  • 通称は「石清水八幡宮参道ケーブル」
  • 駅はふもとの「ケーブル八幡宮口駅」と「ケーブル八幡宮山上駅」の二つ
  • 路線距離 約400m、高低差 82m、最大勾配 20.6%、所要時間 3分
  • 歴史
    • 大正15年(1926年)、男山索道株式会社により開業。
    • 昭和19年(1944年)、戦時中の資材供出によって営業を廃止。
    • 昭和30年(1955年)、京阪電気鉄道によって復活され、現在に至る。

ふもとには頓宮、高良神社が鎮座します。
高良神社は石清水八幡宮を勧請した行教によって貞観3年(861年)に創建されたという、ほぼ石清水八幡宮と同時期に建てられた由緒ある神社です。

この高良神社が徒然草52段に登場します。

仁和寺(にんなじ)の法師が一度石清水八幡宮に参詣しようと思い立ち、一人で出かけていった。
男山のふもとにある極楽寺や高良神社を拝んで、「これで参拝の目的は果たした」と山の上にある本殿に登らず帰ってしまった。
仁和寺に帰って、「みんなぞろぞろと山へ登っていくので、何かあるのだろうかと思ったけれど、神様にお祈りするのが目的なので山には登らなかった」と言った。

高良神社

吉田兼好はこの段の結びに「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり(こんな簡単なことにも、指導者はいてほしいものだ)」と言っています。

素人や経験の浅い者が、勝手な判断で物事を行うと失敗する。簡単で、自分一人でできそうに思えることでも、知識や経験のある人の指導や教えがあれば、失敗せず、より深く物事を理解できるということですね。

でも、約650年前の吉田兼好の時代にも、こんなうっかりやさんがいたなんて、ちょっと安心しました。