枚方市にある片埜神社とアテルイ・モレの塚を訪問しました。
片埜神社

片埜神社は非常に長い歴史があります。
神社のホームページによると、社伝として以下の由緒が伝えられています。
- 11代垂仁天皇の御世(4世紀頃):野見宿禰命(のみのすくね)が当地を拝領した際、建速須佐之男大神(たけはやすさのおおおかみ)をお祀りし、土師氏(はじし)の鎮守とした。
※野見宿禰は殉死の代わりに埴輪を考案し、垂仁天皇から「土師臣(はじのおみ)」の姓を賜ったとされる。 - 29代欽明天皇の御世(在位539年〜571年):「片野神社」の社号を賜り、交野郡の産土社となる。
- 天徳4年(960年):菅原道真公を合祀する。
※菅原道真公は土師氏の子孫。道真公から5代前の土師古人により、姓が「土師」から「菅原」に変わった。 - 鎌倉時代末期:元弘の変(1331年〜1333年)の兵火にかかる。
- 戦国時代:三好・松永の戦いに巻き込まれる。
- 天正11年(1583年):豊臣秀吉公により大坂城鬼門鎮護の社と定められる。
- 慶長7年(1602年):豊臣秀頼公により本殿および正門が再建される。
- 明治時代:社名を現在の『片埜神社』に改める。

境内に入って、ギョッとしたのは鬼のお面です。
大坂城の鬼門とされていることから、「鬼」は神社の象徴とされていて、節分の豆まきでは「福は内、鬼は内」と唱えます。
ちなみに、この鬼面がタレントの原田泰造さんに似ていると、テレビ朝日の「ナニコレ珍百景」で紹介されて話題になりました。

アテルイ・モレの塚
アテルイ・モレの塚は、片埜神社の裏手にある牧野公園の中にあります。
園内のこんもりと高くなった古墳跡があり、そこに置かれた石碑がアテルイ・モレを供養する碑とされています。

アテルイ(阿弖流為)とは古代東北の蝦夷(えみし)の族長です。征夷大将軍・ 坂上田村麻呂と激しい戦いを繰り広げた末に降伏しました。
アテルイを従え平安京に戻った田村麻呂は二人の助命を嘆願しましたが、その願いは叶わず、アテルイは副将のモレ(母禮)とともに河内国で処刑されました(延暦21年/802年)。

当時の記録には、アテルイとモレが「即捉両虜斬於河内國□山(すなわち両虜を捉え、河内国□山にて斬る)」とあり、河内国で処刑されたことまでは分かっているものの、具体的な場所(□山の文字)については諸説あり不明な状況です。
枚方市においても、研究成果を元に様々な議論が交わされた末、平成19年(2007年)に「伝阿弖流為母禮之塚」が建立されました。毎年、9月には「アテルイ・モレ祭」が行われています。

また、坂上田村麻呂が創建したと伝えられる京都・清水寺にも二人を顕彰する「北天の雄 阿弖流為母禮之碑」が建てられています。

古代東北の英雄として、悲劇的な最期を迎えたアテルイとモレに対してはロマンを感じますね。


















