當麻山口神社・傘堂

當麻寺を訪問した後、寺から少し登ったところにある當麻山口神社、傘堂、大池そして鳥谷口古墳を巡りました。 

當麻山口神社

二上山への登り口に、木々に囲まれひっそりと鎮座する當麻山口神社。
延喜式(927年完成)の神名帳にも記載されている古社で、社伝には 『人皇五十五代文徳天皇仁寿三年(853年)夏四月、冬十一月これを祭る』とあり、1100年を超える歴史を持った神社です。

境内までの参道は大きな木々に覆われ、神域であることを感じさせます。

境内には大きく二股に分かれた木が生えています。荒々しい生命力を感じました。
多くの神社では、こういう木は「夫婦の木」として夫婦和合をアピールしていますが、ここでは何もありませんでした。この素っ気なさが、なんだか清々しいです。

拝殿が見えてきました。

ご祭神は
 天津彦頬瓊瓊杵命(あまつひこほほににぎのみこと)
 木花開耶姫命(このはなさきゃひめのみこと)
 大山祇命(おおやまづみのみこと)
です。

御神徳は五穀豊穣、国家安泰、家内安全、開運、長寿、縁結び、夫婦和合、子育て、厄除けとたくさんあります。

摂社の當麻都比古神社(たいまつひこじんじゃ)のご祭神は
 麻呂子皇子(まろこのおうじ)
 當麻津姫(たいまつひめ)
です。
麻呂子皇子と當麻津姫は本殿の左右にお祭りされているそうですが、拝殿から見ることはできませんでした。

御祭神の麻呂子皇子は聖徳太子の異母弟で、當麻氏の始祖とされ、豪族當麻氏の氏神として當麻津姫とともにお祀りされています。
麻呂子皇子は當麻寺を建立したともされています。當麻の地を本拠地としていたのでしょう。

傘堂

神社の参道に入る手前には傘堂と呼ばれる小さなお堂が立っています。中心の柱一本だけで傘を支えるというユニークな構造をしています。

江戸時代前期にこの地を治めていた郡山藩主・本多政勝の「影堂」「位牌堂」として、延宝2年(1674年)に郡奉行を務めていた吉弘統家らによって建てられました。
吉弘らは傘堂のすぐ上のところに大池を開削し、そのことで益を得た新在家・染野・今在家の大字の人たちによって守られてきました。

毎年八朔の日に大字の役員の方たちによって、法要が営まれています(「八朔の法要」というそうです)。

右側が吉弘統家の墓碑

大池

吉弘統家らによって開削されたという大池は、傘堂から少し登ったところにあります。
予想外に大きな池でした。
池の向こうには二上山が望めます。二上山から恵みの水をいただいているのだと思いました。

鳥谷口古墳

大池からさらに登ったところに鳥谷口古墳があります。
昭和58年(1983年)、工事中に偶然発見されたという古墳です。調査の結果、7世紀後半に築造されたことはわかりましたが、誰が埋葬されたかは判明していません。

謀反の疑いをかけられ自害した天武天皇の皇子・大津皇子は、姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)が詠んだ歌から、二上山に葬られ、その墓は二上山雄岳山頂にあるとされています。
しかし、この鳥谷口古墳こそが大津皇子の墓であるという説があるそうです。

古代の権力争いは、生きるか死ぬかの戦いで厳しいです。今後の研究で、被葬者がわかることを期待します。