備中松山城

備中松山城へ行きました。現存天守12城の一つで、唯一の山城です。

城のある高梁までは輪行で移動しました。姫路から備中高梁までの直通列車に乗ったので、列車内に自転車を置いてしまえば、乗り換えで慌てることもなく、車内でゆっくり過ごせました。

高梁駅前で自転車を組み立て、ふもとにあるシャトルバス乗り場を目指します。途中、武家屋敷がある石火矢町を通り抜け、高梁高校脇の坂道を登っていきました。

石火矢町

このあたりまでは、傾斜は緩やかですが、山田方谷の牛麓舎跡や備中松山城への遊歩道入口を越えてからは、激坂に変わっていきました。
喘ぎながらペダルを踏んで、やっとの思いで、シャトルバス乗り場の「城まちステーション」に到着。
マイクロバスが「ふいご峠駐車場(8合目駐車場)」まで運んでくれます。

ここから天守までは歩くしかありません。距離は700m、時間にして約20分です。歩きやすい道です。道の周りの木々が日陰を作ってくれるので、暑さは少しマシでした 。

しばらくは単調な山道でしたが、城に近づくにつれて、徐々に石垣が現れます。

この石垣がすばらしい。
特に、三の丸や二の丸周辺の石垣は、そびえ立つような角度で迫ってくる、圧倒的な迫力がありました。
よくぞ、ここまでのものを作り上げたと、感心します。

本丸に入ると、一匹の猫が寝そべっています。
誰あろう、この方こそが松山城の城主・さんじゅーろー様でした。

さんじゅーろーは、2018年7月の高梁豪雨のあと、いつの間にか山頂にある城に住み着き、観光協会の方々に保護されました。
実は、さんじゅーろーの元の名前は「なつめ」。飼い主のもとから逃げ出し、6kmもの距離をものともせず、山に登ってきたのでした。
城でのびのび暮らすなつめを見た飼い主は、彼を観光協会に譲渡。正式に観光協会の飼い猫となった彼は、備中松山藩出身の新選組7番隊組長の谷三十郎にあやかり、「さんじゅーろー」と名付けられました。
高梁豪雨のあと、一時は観光客数が減少しましたが、さんじゅーろーに会いに来る人が増え、集客力アップに貢献しているそうです。
恐るべき、さんじゅーろー様のパワー。

さんじゅーろー様の向こうにあるのが、備中松山城の天守です。二層二階の建物で、天和3年(1683年)に水谷勝宗によって修築されたと伝えられています。
さすがに、標高430mの小松山山頂に築かれたものなので、そんなに大きいわけではありません。

天守の中にはさまざまな資料が展示されていました。

備中松山城が初めて造られたのが鎌倉時代の延応2年(1240年)。秋庭氏によって築城されたと紹介されていました。
その後、城主は目まぐるしく変わります。
江戸時代に入ってからも、小堀氏、池田氏、水谷氏、安藤氏、石川氏と代わり、延享元年(1744年)から板倉氏が松山藩主となり、明治維新まで続きました。

明治維新後、廃城令が出され各地の城は取り壊されました。しかし、備中松山城は山中にあったため、そのまま放置されていました。昭和に入り、「高梁保勝会」が結成され、保存活動が活発になりました。その後、昭和15年の天守解体修理、昭和35年の大修理、平成13年〜15年の大修理などを経て、現在に至っています。
多くの人が関わり、貴重な文化財が保存されてきました。

播磨にもたくさん山城はありますが、建物が残っているわけではなく、お城としてのイメージを想像できずにいました。
今回、備中松山城を訪問して、山城のあり方を見ることができて貴重な経験となりました。