奈良県葛城市にある石光寺にお参りしました。
このお寺は、美しい花が楽しめる「花の寺」でもあり、中将姫伝説に彩られる「染め寺」でもあります。
訪れたときは「ぼたん祭り」が開催されており、「弥勒如来石仏」を見学することもできました。

花の寺
そんなに大きな境内ではないのですが、約2000株ものぼたんが咲き乱れています。石光寺は「関西花の寺」の第20番のお寺です。
お参りした日は天候にも恵まれ、大勢の観光客で賑わっていました。


中将姫伝説
當麻寺で髪を下ろし尼となった中将姫は浄土教一千巻を写経するなど修行に励みました。
阿弥陀如来の極楽浄土を見たいと願った中将姫が、蓮の茎から作った糸を井戸水で洗い清め、傍らの桜の木にかけて干したところ、乾くに従って五色に染まりました。
この糸で二人の尼(観音菩薩と勢至菩薩の化身)の助けを借りて、一夜のうちに阿弥陀浄土図を織り上げました。これが當麻寺の「當麻曼荼羅」となりました。
境内にある「染の井」と「糸掛け桜」が中将姫に関する遺物です。

當麻寺から石光寺への道沿いに中将姫の墓塔がありました。
石造十三重塔で鎌倉時代末期の様式をしているそうです。

中将姫は、奈良時代の天平19年(747年)に生まれたとされる女性です。それから数百年たった鎌倉時代には、伝説の女性として信仰の対象となっていたのでしょう。
弥勒如来石仏
弥勒如来石仏は1991年に発掘されたものです。普段は弥勒堂に収められており非公開ですが、春の「ぼたん祭り」の期間は特別開帳されます。

石仏はバラバラになっていて原形はとどめていないのですが、白鳳時代に作られた日本最古の石仏ということです。
白鳳時代は大化の改新から平城京遷都(645年〜710年)までの期間を指します。
木造や銅造の仏像は、6世紀の仏教伝来(538年または552年)の直後から、飛鳥寺の飛鳥大仏や法隆寺の百済観音、広隆寺の弥勒菩薩などが作られています。
それに対して、石仏の製作は100年近く遅れています。理由を調べてみると、以下のことが言えそうです。
- 日本の石(花崗岩)が「硬すぎた」
中国やインドで石仏の素材となった石に比べ、日本に多かった花崗岩(かこうがん)は非常に硬く、加工が困難でした。当時の工具では、この硬い花崗岩を削ることができなかったのです。
ちなみに、石光寺の弥勒如来石仏は花崗岩ではなく凝灰岩(ぎょうかいがん)で作られています。凝灰岩は花崗岩に比べると柔らかく、加工しやすいのが特徴です。
また、古墳の石棺に使われた竜山石(たつやまいし)も凝灰岩でした。
- 「石工技術」の獲得に時間がかかった
日本は木材が豊富だったため、もともと木材加工技術がありましたが、石の加工技術はなかったため、その技術獲得に時間がかかったと考えられています。
仏像を作るにも、技術革新が必要だったのですね。
石光寺開山の縁起として、次のエピソードが伝えられています。
天智天皇の時代に光を放つ大石が発見され、掘り起こしてみると弥勒如来の像が浮かび上がった。この石仏を本尊として祀るために、天皇は役小角に命じてお堂を建立させ、「石光寺」の寺名を賜った。
弥勒如来石像が実際に発掘されたことで、お寺に伝わる開山エピソードが、単なる伝説ではなく歴史的な事実を含んでいることが証明されました。
一つの発見によって、事実が確かめられることがすばらしいですね。

















