水無瀬神宮にお参りしました。
ご祭神は第82代天皇・後鳥羽天皇、第83代天皇・土御門天皇、第84代天皇・順徳天皇です。
創建は仁治元年(1240年)です。水無瀬信成・親成(みなせのぶなり・ちかなり)父子が後鳥羽上皇造営の水無瀬離宮跡地に御影堂を建立したのがはじまりとされています。

鳥居をくぐった先にある門には「石川五右衛門の手形」が付いていると紹介されていますが、どれが手形かよくわかりませんでした。
「五右衛門は神宝の大刀を盗もうと数日間偵察したが、神威に打たれ、一歩も門内に入れなかった」と説明がありました。

境内は新緑の緑がまぶしく、清々しい空気が漂っています。
お宮参りのご家族が訪れていました。

そして、水を求めて行列ができていました。
水無瀬神宮の水は「離宮の水」と呼ばれ、環境省選定の「全国名水百選」に選ばれています。

天王山から流れ出る水無瀬川の水は、口当たりが良く、ウイスキーやお茶に利用されているということです。
近くにはサントリーの山崎蒸溜所があります。日本最初のモルトウイスキー蒸溜所として大正12年(1923年)に着工されました。初代工場長はニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝です。

承久元年(1219年)、鎌倉3代将軍・源実朝が暗殺されます。当時の天皇は順徳天皇でした。父は後鳥羽上皇です。
そして、承久3年(1221年)に承久の乱が勃発。幕府方の完勝で終わり、後鳥羽上皇は隠岐、土御門上皇は土佐、順徳上皇は佐渡に流されました。
それから18年後の延応元年(1239年)、京への帰還はかなわず、後鳥羽上皇は隠岐の島で崩御されました。
亡くなる13日前に近臣の水無瀬親成のために『後鳥羽院宸翰御手印置文』を書き残しています。左右両方の朱色の手形が押された遺言書です。
国宝展でこの手紙を見たときは、その迫力に驚いた記憶があります。
近くにある島本町立歴史文化資料館に置文のレプリカが展示されています。
手の大きさを比べることができます。

朱色の手形の上に手を置いてみましたが、上皇の手は大きいです。
『新古今和歌集』を編纂させるという文化的な素養を持ちながら、刀を作ったり、武芸をたしなみ、「西面の武士」という軍を新たに作ったりした、スケールの大きな上皇にふさわしい手だと思いました。
この置文に「我後生を返々とぶらふべし(私の来世を弔ってほしい)」と書かれていたことが、水無瀬神宮が建立された大きな理由です。
元仁元年(1224年)北条義時死去
嘉禄元年(1225年)北条政子死去
寛喜3年(1231年)土御門上皇崩御
延応元年(1239年)後鳥羽上皇崩御
仁治3年(1242年)順徳上皇崩御、北条泰時死去
承久の乱の後、主要人物が相次いで世を去り、北条泰時も上皇の後を追うように亡くなると、新しい時代へと変わっていきました。



















