標高274mの由加山に鎮座する由加神社は、日本三大権現の一つとして、また厄除けの総本山として知られています。江戸時代には、対岸に位置する金比羅宮と双方をお参りするとご利益があるとされ、「ゆが・こんぴら両参り」で賑わっていました。
今回、由加参道を通って由加神社まで自転車で走ってみました。
スタートは植松駅です。
植松駅
植松駅は無人駅ですが、ICOCAを利用できます。
駅の出入り口には、ぽつんとタッチパネルの改札があるだけです。実に開放感にあふれる改札口です!
今までも、タッチパネルがある無人駅を使ったことはありましたが、植松駅の改札口は非常にユニークです。

熊野神社
植松駅から約2km離れた熊野神社に立ち寄りました。
明治の神仏分離令が出るまでは「日本第一熊野十二社大権現宮」と呼ばれた神社です。
神社のホームページによると、役行者(役小角)が伊豆に流された際、弟子たちが紀州熊野の十二社権現の御神宝を奉じて、この地に鎮座祭典したのが始まりとのこと。
創建は大宝元年(701年)という歴史のある神社です。

後鳥羽上皇が承久の乱で敗れたあと、皇子の冷泉宮頼仁親王はこの地に配流されました。
また、弟の桜井宮覚仁親王は承久の乱の前年にこの地に赴き、五流尊瀧院の住職になられました。
お二方ともこの地でお亡くなりになっており、神社の入り口には桜井宮の墓である「桜井塚」があります。

さらに、隠岐で崩御された後鳥羽上皇を弔う宝塔が頼仁親王と覚仁親王のお二人により建立され、現在は国の重要文化財に指定されています。
高さ5mもある大きくて立派な塔でした。

覚城院跡
熊野神社の鳥居の近くにある覚城院跡に丁石がありました。ここから由加山までは54丁、約6kmの行程です。
行く手に待ち受けるヒルクライムに不安がよぎります。

五流尊瀧院
少し走ると、五流山伏の総本山である五流尊瀧院があります。
熊野神社の境内にある三重塔や後鳥羽上皇の宝塔は五流尊瀧院が管理しているものです。
このあたりは、かつて神仏習合の時代に熊野神社と五流尊瀧院が一体となって運営されていたことの名残を感じさせます。

頼仁親王墓
頼仁親王は文永元年(1264年)にこの地で薨去され、墓所が残されています。
こちらは宮内庁によって管理されています。

波止岡の首切り地蔵
不気味な名前のお地蔵様に出会いました。
地蔵堂の前の標柱には「血洗の池」との文字もありました。恐ろしそうなスポットです。
かつてここは罪人を処刑する場で、処刑に使った刀を「血洗いの池」で洗ったと伝えられています。
「首切り地蔵」という名は、首と胴が離れた構造で、まるで首が切られているように見えることに由来しているそうです。

石造鳥居
先に進むと立派な鳥居が現れました。神社に近づいていることを実感します。
鳥居の脇に「由加大鳥居の金峨の龍」という標柱が立っていました。
「金峨の龍」とは、幕末から明治にかけて活躍した児島出身の日本画家・古市金峨(ふるいちきんが)がデザインした、扁額に施された龍の意匠を指します。この鳥居も「瑜伽大権現」の扁額の周りを、緻密な龍の彫刻が取り囲んでいました。

31~36丁石
「十五夜丹蔵」という、江戸時代末期に活躍したとされる大阪相撲の力士を称える碑を見ながら進むと、31〜36丁石が現れました。
スタートの覚城院跡は54丁だったので、由加神社まではまだ半分も来ていません。

県道62号玉野福田線
県道62号玉野福田線に合流しました。これまでは緩やかだった坂も、県道に入ると勾配がキツくなってきました。
ひたすらペダルをこぎ続けます。
ハアハアと息を切らしながら走っていると、後ろから来た電動アシスト自転車にあっさり追い抜かされました。
いつも思います。登り坂だけは電動アシストが欲しい!

厄よけ石段
そんなこんなで、ようやく由加神社の表参道に到着しました。
ここからは「厄よけ石段」とよばれる階段が続きます。段数は19段、25段、33段、42段、61段。
これを登り切れば厄が落ちるのでしょう。
しかし、ヒルクライムで脚を使い果たした身にはかなり応えます。

足を引きずりながら登っていくと、「一丁」の丁石を見つけました。
とうとうやりました。

ところが、石段はまだまだ続いていました。
特に最後の階段は・・・
見上げると心が萎えました。

由加神社に到着
最後の石段を登りきり、ついに由加神社に到着しました。
ヒルクライムに負けず劣らず、石段がキツかった~~。
頑張った自分をほめてあげたいです。
由加参道は見所も多く、自転車で走りがいのあるルートでした。




















