神戸市東灘区に鎮座する本住吉神社(もとすみよしじんじゃ)は神功皇后の時代に創建されたという長い歴史を持つ神社です。

『日本書紀』には次のエピソードが記されています。
- 神功皇后の軍船が三韓征伐から凱旋のおり、鹿坂王、忍熊王が反乱を企てた。二人は神功皇后の夫・仲哀天皇が別の后(大中姫)との間にもうけた皇子だった。
- 皇后の軍船が難波に入ろうとしたところ、船がぐるぐる回るばかりで、進むことができなくなった。
- 神功皇后は船を武庫の水門に着けて、神様のご意思を占った。
- すると、天照大神、稚日女尊(わかひるめのみこと)、事代主尊(ことしろぬしのみこと)、住吉三神が現れて、天照大神は廣田の国に、稚日女尊は生田の国に、事代主尊は長田の国に祀れと申された。
- お告げを受けて、廣田(廣田神社)に天照大神を、生田(生田神社)に稚日女尊を、長田(長田神社)に事代主尊を祀らせた。
- 住吉三神からは「我が和魂(にぎみたま)を大津の渟中倉長峡(ぬかくらのながの)に祀れ」とお告げがあった。
- そこで、土師連(はじのむらじ)の祖先である吾田片隅(あたのかたすみ)に命じて、(住吉三神を)祀らせた。
このとき住吉三神を祀った場所がここ神戸の住吉の地であるということから「本住吉神社」と称されています。
「本住吉」という呼称は鎌倉時代、貞永2年(1233年)の古文書にも記されているので、かなり古くからそのように認識されていたようです。

また、この住吉の地は古代から発展してきた場所でもありました。神戸新聞の報道によると、弥生時代の集落や飛鳥から奈良、鎌倉時代の遺物が見つかっており、古墳時代中期から後期の古墳も100基近く確認されているそうです。
JR住吉駅にある「住吉宮町古墳群」の紹介パネルには、古墳や出土品の研究成果が説明されていました。
今では考えられませんが、かつての本住吉神社の周りは古墳だらけだったようです。

本住吉神社から500mほど離れた阪神御影駅には「沢の井」という湧水池があります。
神功皇后が三韓征伐への出陣時と凱旋時に立ち寄られ、この泉の水にご自身の姿を映してお化粧をされたという伝承が紹介されていました。
この故事が「御影(みかげ)」という地名の由来になったといわれています。
清らかな湧水は灘の酒造りにも活かされてきました。
池は阪神電車の高架下にありますが、差し込む光を浴びてキラキラと輝いていました。

神戸の住吉が古代の「大津の渟中倉長峡」であるかどうかは今後の研究を待つとして、この地が神功皇后の伝説と深い関わりを持っていることは確かですね。



















