大山崎町にある宝積寺にお参りしました。
天王山への登山口から登っていき、しばらくすると宝積寺に到着します。

山門をくぐって先に進むと、「山崎の戦い」に勝利した羽柴秀吉が、一夜にして建立したとされる三重塔がそびえています。

それにしても、「墨俣一夜城」とか、北条攻めの時に築いた「石垣山一夜城」など、秀吉が一夜で建てたとされる建物がありますね。
備中高松城の水攻めも、巨大な堰を驚くべき速さで建設したとされています。
秀吉自身、そしてブレーンには土木工事に長けた人物がいたと思われます。
しかし、実際には一日でできたわけではなく、うまく短期間でやってのけたように見せかけたプロモーションがうまかったのでしょう。
境内には、秀吉が腰掛けたという「出世石」があります。
秀吉は宝積寺を山崎の戦いの本陣としました。

創建当時のエピソードとして次の物語が伝えられています。
養老7年(723年)、龍神により万宝第一(何事も叶う)の「打出」と「小槌」が我国に伝来した。
神亀元年(724年)、聖武天皇は夢に出現した龍神に打出と小槌を授かり、祈願すると天皇に即位したと伝えられている。
神亀年間(724年〜729年)、聖武天皇の勅願により行基が宝積寺を建立し、打出と小槌を奉納した。

「打出」と「小槌」をお祀りすることから宝積寺は通称「宝寺」(たからでら)とも呼ばれています。
今までは「打出の小槌」のように一つのものと思っていましたが、ここでは「打出」と「小槌」の2つに分かれていますね。
その「打出」と「小槌」は本堂の横にある「小槌宮」でお祀りされています。

最後に、閻魔堂で閻魔大王坐像・諸眷属五体を見学しました。
閻魔大王、司録、司命、暗黒童子、倶生神の5人が恐ろしい形相で迫ってきます。死んだあと、こんな5人に取り囲まれたら、あることないこと喋ってしまいそうです。
閻魔大王:冥界の最高裁判官。
司命(しめい):死者の生前の罪状を調べる役人
司録(しろく):死者の善悪を記録する役人
倶生神(ぐしょうしん):生前の行動をすべて記録している神
暗黒童子(あんこくどうじ):人間の悪事を記録する従者
5人で役割分担したチームになってますね。

宝積寺は天王山への登山口でもあります。
羽柴秀吉が天王山山頂に山崎城を構えたとき、宝積寺も城域に含まれ、城は「宝寺城」とも呼ばれたそうです。
宝積寺は歴史的にも重要な役割を果たしてきたのですね。

















