奈良市に存在する巨大な古墳群をサイクリングで巡ってみました。
古墳群の名称は佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)と言い、4世紀末から5世紀にかけて築造された前方後円墳が密集しています。
五社神(ごさし)古墳
第14代仲哀天皇の皇后・神功皇后の陵に治定されています。
墳丘長は267mと、日本第12位の規模を誇る古墳で、4世紀末の築造と推定されています。

佐紀高塚古墳
第48代称徳天皇の陵に治定されています。
全長127mの前方後円墳で、5世紀前半の築造と考えられています。
称徳天皇は第46代孝謙天皇として一度天皇の位に就き、淳仁天皇に譲位した後、第48代称徳天皇として重祚しました。
崩御したのは770年なので、古墳の築造時期とは大幅なズレがあります。

佐紀石塚山古墳
第13代成務天皇の陵に治定されています。
全長218mの前方後円墳です。
4世紀後半の築造と考えられています。

佐紀陵山古墳
第11代垂仁天皇皇后の日葉酢媛命の陵に治定されています。
全長207mの前方後円墳です。築造時期は4世紀後半と考えられています。
この古墳と相似形の古墳が各地で作られています。
その一つが兵庫県神戸市の五色塚古墳です。
大きさは若干異なりますが(五色塚古墳は全長194m)、後円部の直径や前方部の幅の比率など、全体の形状が同じになっています。
大和政権の勢力下に入った播磨の王に対して、同じ形の古墳を作らせたと推定されています。

山上八幡神社
平城天皇陵である市庭古墳へ行く途中に、山上八幡神社に立ち寄りました。
天正19年(1591年)、豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際して、武運長久を祈願して手植えしたという杉があります。

佐紀神社(西畑)・佐紀神社(亀畑)
佐紀神社は2か所に分かれて鎮座しており、御前池をはさんで西側が西畑の佐紀神社、東側が亀畑の佐紀神社です。


市庭古墳(平城天皇陵)
第51代平城天皇の陵に治定されています。
発掘調査によって、現在残っているのは後円部の一部で、前方部は平城京建設の際に破壊されたこと、復元すると全長253mという巨大な古墳だったことがわかっています。
都を造るために、じゃまになった古墳を潰すとは、対応がドライですね。
築造時期は5世紀前半と考えられているので、平安時代の天皇である平城天皇とは大幅に時代がズレています。

ヒシアゲ古墳
第16代仁徳天皇皇后の磐之媛命(いわのひめのみこと)の陵に治定されています。
全長は219m、築造時期は5世紀中頃から後半と推定されています。
『古事記』や『日本書紀』では、磐之媛命はとても嫉妬深い女性として描かれています。夫・仁徳天皇が別の女性を妃に迎え入れようとしたことに腹を立て、家を出て戻らなかったといいます。
これが、夫の陵(仁徳天皇陵)は大阪・堺市にあり、磐之媛命の陵が奈良と離れた場所に存在する理由でしょうか。

コナベ古墳
築造時期は5世紀前半と考えられる、全長204mの前方後円墳です。
なみなみと水をたたえた周濠が取り囲んでいます。

ウワナベ古墳
コナベ古墳と同様に、周囲を周濠が取り囲み、まるで湖に浮かぶ島のようです。
全長は270mあり、佐紀盾列古墳群で最も大きい古墳です。
築造時期は5世紀中頃と考えられており、仁徳天皇の皇后である八田皇女の陵墓参考地とされています。

どの古墳も、とんでもなく大きい古墳でした。
そして東西2km、南北1.5kmの範囲に密集して造られています。この地域に絶大な勢力を持った政権があったのは間違いないでしょう。



















