JR北信太駅の南東に位置する聖神社(ひじりじんじゃ)は、「葛の葉伝説」や歌枕の「信太の森」の舞台でもあります。

境内にある説明板には以下のことが紹介されていました。
- 白鳳3年(674年)に天武天皇の勅願により、信太首(しのだおびと)が創建したと伝えられる。
- 延喜式内社、和泉国五社明神の三の宮に列し、「信太明神」の別称でも親しまれている。
- 素戔嗚尊(すさのおのみこと)の孫・「聖大神」が主祭神である。
- かつては信太山丘陵の大半約百万坪が境内地であった。
- 慶長9年(1604年)、豊臣秀頼によって再建された本殿、三神社本殿および瀧神社本殿が国の重要文化財に指定されている。
豊臣秀頼によって再建された本殿、三神社本殿および瀧神社本殿は、朱色が鮮やかできれいです。


秀頼によって再建された寺社というのはたくさんありますね。
当時、大規模に多数の寺社が再建されたように思います。
境内は広々しています。
現在、神社の北側は鶴山台の住宅地となっていますが、東方には陸上自衛隊の演習場があったりして、かつては広大な森が広がっていたのかもしれません。

「信太の森」を歌枕とした和歌は多数あります。
そのなかで、赤染衛門(あかぞめえもん)と和泉式部のやりとりが面白いです。
和泉式部が道貞と別れた後、敦道親王が式部のもとに通い始めたと聞いて、赤染衛門が式部に歌を送ります。
うつろはで しばし信太の 森を見よ かへりもぞする 葛のうら風
「葛の葉が風で裏返るように、道貞が戻ってくるかもしれません。新しい男に心移りしないで少し様子を見たら」
これに対して和泉式部が歌を返します。
秋風は すごく吹くとも 葛の葉の うらみ顔には 見えじとぞ思ふ
「秋風(世間の噂や冷たい風当たり)が激しく吹こうとも、私は恨み顔など見せません」
二人の歌に「葛の葉」が出てきます。
葛の葉は、風に吹かれてひっくり返ると、葉の裏の白い面を見せるところから、「うら」「うらみ」などにかけられています。
それにしても、自分のロマンスがスキャンダルになろうとしたときに、「そんなものは気にしない」と返した和泉式部は強いですね。
ということで、平安時代には『葛の葉=狐女房』という概念(伝説)はまだ存在しなかったようです。

聖神社の北側に鏡池があります。
我が子に、正体が狐であることを知られた葛の葉と、安倍保名と安倍晴明の親子が最後の別れをした舞台とされます。
池のそばの石碑に「和泉地方に伝わる伝説である」という「葛の葉伝説」が記されていました。これには安倍晴明や安倍保名は登場しない、素朴なストーリーです。
3人の旅人が旅の途中、草むらの中にいる一人の女性と出会いました。
旅人の中の「たかなし」というさむらいは妻がいないので、この女性と結婚して妻にしました。
ときがたち、その夫婦には3人の子供ができて、たいへん幸せな日々を過ごしていました。
夫婦は幸せでしたが、その幸せのあまり妻はうたた寝をしているとき尻尾をうっかり出してしまいました。
そう、妻は狐だったのです。
それを子供に見られてしまったのです。
妻は一つの歌を残して信太の森へ走り去りました。
「こいしくば たずねてきてみよ わがやどは 信太の森の うらみ葛の葉」
その狐は舌をかみ切って死にました。
何年かたち、3人のうちの末っ子がこれを知り、たいへん悲しんで狐塚とお堂を造り、母である狐を祀ったのです。




















