延喜式(927年)の神名帳にも記載されている古社・玉列神社(たまつらじんじゃ)は三輪山の南麓に鎮座しています。
大神神社の摂社で、大神神社の神様である大物主大神(おおものぬしのおおかみ)の御子神(みこがみ)である玉列王子神(たまつらおうじのかみ)をお祀りしています。
相殿神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)と春日大神(かすがおおみかみ)です。

「玉列」とかいて「たまつら」と読みますが、名前の由来には次の説があります。
- 玉椿(たまつばき)に由来する説
境内や周辺が古くから椿の名所であり、『万葉集』の歌(巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ思はな 巨勢の春野を)に見られる「つらつら椿」などに由来するという説。 - 海石榴市(つばいち)からきている説
玉列神社から西方約1kmにあった、奈良〜平安時代に存在した市場・海石榴市の地名や記憶に由来するという説。 - 魂貫(たまぬき・たまつらね)という説
「玉を貫(つら)ねる」という意味から転じたとする説。

境内には「誕生さん」と呼ばれる誕生石があります。
御祭神の玉列王子神にちなんで子宝石として信仰を集めているそうです。また、初宮詣では、この石の周囲をまわりながら「ヘイチョウ カイチョウ」と三度唱えたら、元気で健やかな子に育つと言われています。
「ヘイチョウ カイチョウ」はどういう意味なんでしょうか。

飛鳥に宮が移るまで、三輪山の南麓から香具山のあたりは天皇(大王)や皇后の宮が13もあったと伝えられる大和政権の中心地でした。
玉列神社の東方の脇本地区には雄略天皇の泊瀬朝倉宮(はつせあさくらのみや)があったと推定され、春日神社(玉列神社の東方約700m)がその中心地と考えられています。

雄略天皇は5世紀後半に実在した第21代天皇で、ワカタケル大王(獲加多支鹵大王)の別名でも知られ、「倭の五王」の「武」とされています。
こうした地域的・歴史的な背景から、玉列神社は三輪山祭祀の南麓拝所として創祀されたと伝えられています。
初瀬谷の入り口にたたずむ玉列神社は、大和の発祥にもつながる深い歴史を持っているかもしれません。



















