高槻にある上宮天満宮(じょうぐうてんまんぐう)にお参りしました。
JR高槻駅から北に進むと大きな鳥居が見えてきます。

昭和52年(1977年)に建てられた大鳥居の脇には、石燈籠と狛犬が並んでいます。石燈籠は江戸中期(寛延3年・1750年)、狛犬は幕末の文久2年(1862年)に建てられたものです。
大鳥居の先に見えるのが、上宮天満宮が鎮座している天神山です。標高は約50mで、弥生時代の「天神山遺跡」が発掘された場所でもあります。
天神山に上がる石段にあるのは二ノ鳥居。元々はこの鳥居が、高槻駅北の大鳥居の所にありましたが、道路拡張工事のために、こちらに移されたようです。
二ノ鳥居も古い建造物で、明暦2年(1656年)に高槻藩主・永井直清公が建立しました。
永井直清公は高槻・永井家の初代藩主で、高槻城跡公園の近くにある永井神社に祀られています。

石段を上って、参道を進むと「三柱山門」という少し変わった門が現れます。

三柱山門をさらに進むとようやく境内らしくなってきます。

上宮天満宮の主祭神は菅原道真命です。
配祀神は武日照命(たけひなてるのみこと)と野見宿禰命(のみのすくねのみこと)で、いずれも土師氏(菅原氏の前身)とゆかりの深い神様です。

上宮天満宮の説明板によると、次のような由緒が紹介されています。
天神山(日神山)は「武日照命(たけひなてるのみこと)」が天降して鎮座された地であり、古くから野見宿禰を祀ってきた島上郡野見里でもあります。
正暦4年(993年)、菅原道真の霊を鎮めるべく菅原為理(すがわらのためまさ)が勅使として大宰府に向かいました。その帰途、この地に宿泊した為理が京に向けて出発しようとしたところ、輿(こし)が動かなくなってしまいました。
これを「先祖とともにとどまりたいという道真公の霊意」と拝察し、神社を建てて三神をお祀りしたのが始まりとされています。
なお、実際の創建はこれより50年ほど遡ると言われ、日本で2番目に古い天満宮とされています。
この伝承は、「亡くなった菅原道真公を運ぶ牛が動かなくなったところに建てられた」という太宰府天満宮の伝説とも重なる話です。
竹の本殿
平成14年(2002年)に建てられた本殿には、全国的にも珍しい「竹」が使われています。
秀吉が建てた旧本殿は平成8年(1996年)に放火で焼失してしまいましたが、境内にある竹林(約2ヘクタール・8,000本)の竹を活用して見事に再建されました。

一般的に神社建築にはヒノキやケヤキなどが使われますが、竹をメインの構造体として使った本殿づくりは、非常に画期的な試みです。
- 竹を割って圧着・成型した「竹集成材」の採用
- 高温高圧の炭化処理による防虫・防腐性能の確保
- 軒裏(化粧垂木)への高度な施工技術の導入
- 防炎・不燃化コーティングの実施
こうした技術革新を成し遂げて建てられた本殿であり、軒下に並ぶ竹の姿は他では見られない光景です。
境内には四社殿、春日社、厳島神社など7つの末社のほか、「守護天神」があります。
守護天神
猫、犬、鳥などのペットを祀る珍しいお社です。
賽銭箱の上には「三匹のネコ親子像」が置かれており、お父さんネコ、お母さんネコ、子どものネコが仲良く寄り添っています。

野見神社
野見里の族長を祭祀してきたとされる宿祢塚古墳の上に鎮座する野見神社は、延長5年(927年)の延喜式神名帳に記されている古い神社です。
この地が天満宮になる以前から野見神社が存在し、歴史の中で天満宮に統合・吸収されていったと考えられます。

上宮天満宮は大きな神社でした。
駅からはずっと一本道ですが意外と距離があり、参道の幅も広く造られています。
山崎の合戦に臨んだ羽柴秀吉が、参道の「天神馬場」に本陣を置いたというのも、なんとなく分かる気がしました。



















