宮本武蔵 初決闘の地
宮本武蔵が13歳の時、新当流の達人・有馬喜兵衛と戦った場所を訪問しました。これが武蔵の初めての決闘でした。 戦いの場所は平福。国道373号線の脇に「宮本武蔵初決闘の場」の看板があります。 ここは平福藩の刑場跡でもありまし...
西播磨宮本武蔵が13歳の時、新当流の達人・有馬喜兵衛と戦った場所を訪問しました。これが武蔵の初めての決闘でした。 戦いの場所は平福。国道373号線の脇に「宮本武蔵初決闘の場」の看板があります。 ここは平福藩の刑場跡でもありまし...
西播磨文久3年(1868)10月12日に生野で尊王攘夷派による代官所襲撃事件(生野義挙)が発生しました。この事件は筑前藩士 平野国臣、薩摩藩士 美玉三平らが長州へ都落ちした七卿の一人 澤宣嘉を奉じて但馬の志士、農民を集めて...
西播磨宍粟市伊和神社前の道の駅「播磨いちのみや」にある須行名マップに流れ橋が載っています。興味が湧いたので、流れ橋を探して揖保川の土手沿いを自転車で走りました。 上流側から走っていくと、伊和神社の真西あたりで流れ橋らしきものが...
西播磨須行名マップに出ていた産霊神社は伊和神社から東の方へ10分ほどの、坂を登ったところにあります。 ご祭神は岩裂神(いわさくのかみ)です。岩を裂くという力強そうな神様です。古事記では「イザナミノミコトがカグツチ(火の神)を生...
西播磨須行名マップに出てくる一つ山古墳。名畑観音堂のすぐ近くにあります。畑のなかに丸い形がポコンと出ているので、すぐにわかります。 説明案内板には次のことが記されていました。 草刈りをしていた人が、「狐の巣穴がいっぱいある」と...
西播磨宍粟市一宮の伊和神社にお参りしました。伊和神社は神戸の海神社、たつのの粒坐天照神社とともに播磨三大社の一社です。 伊和神社がある伊和の里は「播磨風土記」では、石作の首(おびと)が住んでいたので「石作の里」と呼ばれるように...
西播磨名畑観音堂には新田義貞が伊和神社に奉納したという梵鐘があります。新田義貞は鎌倉に攻め込んで鎌倉幕府を滅亡に追いやった武将です。新田義貞にまつわるものが播磨にあるのは不思議でしたが、新田義貞は鎌倉幕府を滅亡させた功績で播磨...
西播磨伊和神社の向かい側に道の駅「いちのみや」があります。そこに須行名(すぎょうめ)マップという看板が出ていました。 このマップで紹介されているのは伊和神社を含めて5箇所です。 名畑の流れ橋 揖保川に架かる木造の橋。大雨で川が...