福崎町にある神積寺(じんしゃくじ)にお参りしました。
平安時代の正暦2年(991)に開かれたという古刹です。
御本尊は木造薬師如来坐像。開山の慶芳上人が自ら彫ったという仏様で、国の重要文化財に指定されています。

神積寺の裏手に広がる妙徳山は「文殊御山の森」ということで、西国三十三ヶ所観音巡りができるようになっています。
奥の院へ行こうと思い、観音巡りの山道を歩きましたが、実は本堂のすぐ裏手に位置していて、拍子抜けしてしまいました。本堂のそばの奥の院に気が付きませんでした。
奥の院には開山の慶芳上人が祀られています。

阿弥陀種子という板碑があります。安喜門院の百箇日供養のために建てられたものです。安喜門院は後堀河天皇の中宮で、弘安9年(1286)2月に崩御されました。

神積寺のホームページによると、神積寺は朝廷と深い関係があったようです。
- 一条天皇(987~1011)の勅により開かれた。
- 三条天皇の第7皇子覚照阿闍梨の時代には、三条天皇より、土佐讃岐の貢穀(こうこく)を賜り、七堂伽藍と五十二院を数えるほど隆盛した。
- 近衛天皇(1142~1155)の宣示により播磨六山の一つに数えられました。
- 後堀河天皇(1222~1231)の中宮安喜門院が長く当山に住まわれた。
神積寺は格式高いお寺だったことがわかります。
播磨六山とは以下の寺を指します。
書写山圓教寺、八徳山八葉寺、増位山随願寺、蓬莱山普光寺、法華山一乗寺、妙徳山神積寺
岩尾神社
神積寺の少し西には鎮守社の岩尾神社があります。
神社の創建は一条天皇の正暦2年(991)と伝えられているので、神積寺の創建と同じ年です。
ご祭神は八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、大山咋神(おおやまくいのかみ)です。
八意思兼神は知恵と判断力を司る神様で、天照大神が岩戸に隠れたとき、天の安河原(あめのやすかわら)に集まった神様たちに、天照大神を岩戸の外に出すための知恵を授けたといいます。

姫路藩主・池田輝政が拝殿などを修繕し、慶長16年(1611)には石造鳥居を建立しました。400年以上も前に造られたものが、今もしっかり残っています。

妙徳山古墳
さらに歴史が古いのは古墳です。
本堂へ登る石段のすぐ脇にある妙徳山古墳は古墳時代後期(6世紀末)に築かれた円墳です。
石室の全長は12メートルあり、神崎郡最大の大きさということなので、地域の有力者が埋葬されたと考えられています。

トイレで見つけた教え
寒い日だったので、我慢できなくてトイレを使わせてもらいました。
すると、次の張り紙がありました。

こんなふうに考えたことはありませんでした。大小便にも感謝の心を向けるという発想は新鮮でした。
また、きれいなトイレを使わせていただいたことにも感謝です。



















