桜井・上之宮遺跡

上之宮遺跡

桜井市にある上之宮遺跡は聖徳太子の邸宅跡の可能性がある遺跡です。
次のことが桜井市教育委員会の説明板に記されていました。

  • 昭和61年から平成2年までの発掘調査によって発見された古墳時代後期から飛鳥時代にかけての集落遺跡である。
  • 第四期とよばれる時代の遺構は四面庇建物を中心とする掘立柱建物群と、それを囲む溝や柵が、東・南側に作られている。
  • 西側には半円形の排水溝を伴う、園池遺構が造られている。
  • 一辺が約100メートルの方形区画に収まるから、古墳時代末期から飛鳥時代初期の豪族居館と考えることができる。
  • 地名や建物の時期、貴重な出土品などから、聖徳太子の上宮の可能性もある。

遺跡の周りは住宅街で、こんなところに遺跡があるんだ!という感じがしました。
遺跡の大きさは一辺が100メートルということなので、ここらへんにある住宅も多くはこの遺跡に含まれてしまうのでしょう。
でも、桜井市や橿原市は遺跡だらけで、発掘すればいろいろな物が出てくるのでしょうね。

復元された園池遺構

聖徳太子は斑鳩にお移りになられる前、父・用明天皇の宮殿の南にある上宮に住まわれたといいます。
用明天皇の宮殿は磐余池辺双槻宮(いわれのいけのへのなみつきのみや)で、5世紀前半に履中天皇が造ったという磐余池(いわれのいけ)のほとりに建設されたとされています。

今のところ、磐余池辺双槻宮の場所は確定されていませんが、桜井市では石寸(いわれ)山口神社、吉備春日神社が候補地になっています。
また、橿原市の東池尻・池之内遺跡で巨大な人工の池跡が見つかっており、ここが磐余池であった可能性が高いそうです。その場合は、上之宮遺跡は聖徳太子ではなく、他の豪族の住まいだったと考えられます。

東池尻・池之内遺跡の人工池は2011年の発掘調査によって発見されました。地道な調査によって謎が解明されていくのですね。
今後の調査が楽しみです。