西光寺野

姫路藩家老 河合寸翁の事績の一つである西光寺野に行ってみました。

西光寺野は、市川と平田川に挟まれた姫路市から福崎町にまたがる南北8kmの台地です。
台地なので水の確保が難しく、本格的に開発が進んだのは明治以降で、河合寸翁の頃は姫路藩の狩場だったようです。

河合寸翁に関係する遺跡としては人参役所跡、船津瓦、河合寸翁紀功碑が残っています。

西光寺野

人参役所跡

現在、人参役所跡は神埼酒造有限会社になっています。

  • 文政二年(1819)姫路藩、朝鮮人参の栽培を開始。
  • 天保元年(1830)岡庭小平太が薬用人に任命される。
  • 文久元年(1861)小平太の息子 小兵衛が人参製法方に任じられ、西光寺野に役宅を建設。
    この役宅が人参役所と呼ばれた。
  • 小平太、小兵衛の努力により薬用人参の栽培、製法、製粉化に成功する。
  • 当時、名声の高かった雲州(島根県)の人参を圧し、明治元年(1868)には1080両の売上高となった。
  • 明治四年(1871)姫路県一揆のため人参役所は焼失。
    人参役所・人参栽培・薬用人参製法が岡庭家に払い下げられる。
  • 明治八年(1875)岡庭家は人参栽培を廃止して酒造業に転じる。

歴史の流れを感じます。

さらに「はりま酒文化ツーリズム」神崎酒造のページでは 「私どもの先祖はもともと上州の出身です。江戸時代のお国換えで殿さまと一緒に姫路藩にやってきました。」と語られている。
酒井家と一緒に姫路に移ってこられたんだ!

人参役所跡
龍王の舞

神埼酒造で「龍王の舞」というお酒を買いました。
五穀豊穣を祈願する播磨地域のお祭りに奉納する舞にちなんだお酒。

飲みやすくておいしい。

船津瓦

人参役所の少し南側に船津瓦発祥の地があります。
船津町には西光寺野の段丘を形成する過程でできた良質の粘土地帯があったということで、高強度・耐寒性に優れたいぶし瓦の産地として知られています。

船津瓦は姫路藩御用瓦師の小林久右衛門が文化二年(1805)に姫路城下・小利木町からこの地に移り、窯を築いたことが始まりといわれています。
文化二年は河合寸翁が財政責任者(諸方勝手掛)になる前です。姫路藩の財政改善への動きはすでに始まっていたようです。

姫路城の平成の大修理でも船津瓦が採用されたようです。

※いぶし瓦
土の焼き締め後に燻化(くんか)とよばれる蒸す作業が加わることが特徴。光が当たると白っぽくなり、独特な光沢がある日本らしい風情のある仕上がりになる。

船津瓦発祥の地
船津瓦発祥の地碑

河合寸翁 西光寺野紀功碑

河合寸翁西光寺野紀功碑

河合寸翁の功績をたたえた碑が長池の堤防下に建てられています。

西光寺野開発は江戸寛文年間(1661〜1673)二色村福永彦太夫により八幡新村が開かれたのが最初で、寸翁による人参栽培は第2次開発になります。
大正時代に大規模な全面開発が行われ、サイフォン式用水路ができ、約340ヘクタールの耕地が開かれました。

紀行碑から見る西光寺野 
今は田畑が広がります。
池には太陽光発電

西光寺野開発を進めた福永彦太夫や河合寸翁にこの光景を見てもらい、喜んでほしいと思う。

「多駝の里」藤井壽著を参考にさせていただきました。