三木市・如意山金剛寺
三木市にある如意山金剛寺は法道仙人によって白雉2年(651)に開創されたお寺です。秀吉による三木城攻めの際、平田砦の戦いで討ち死にした谷大膳の位牌が納められているという話を見つけたの訪問してみました。 坂道を登っていくと...
三木市にある如意山金剛寺は法道仙人によって白雉2年(651)に開創されたお寺です。秀吉による三木城攻めの際、平田砦の戦いで討ち死にした谷大膳の位牌が納められているという話を見つけたの訪問してみました。 坂道を登っていくと...
三木の八雲社におまいりしました。 昔々、この地にお忍びされていた弘計王(顕宗天皇)、億計王(仁賢天皇)がお参りされたという神社です。八雲社がご鎮座されている、ここの地名は三木市久留美皇子ヶ谷。いかにもお二人に関係がありそ...
三木の正法寺山にある正法寺遺跡公園。ここは6世紀中頃から7世紀前半にかけて造られた古墳群です。公園内には1号墳、1-b号墳、2号墳、3号墳が集められています。 1号墳はきれいな形を保っています。もともとは1辺16mの方墳...
三木市の鉾礼山正法寺は法道仙人の開基で、大化5年(649)に創建された古い歴史を持つお寺。本尊は十一面千手観世音菩薩。播磨三十三箇所観音霊場の第23番札所です。天禄年間(970〜972)には円融天皇の勅願道場になりました...
三木市美嚢川に潜水橋があります。潜水橋とは、川の増水時には水面下に沈んでしまう橋です。 三木市跡部の「弁慶の足跡」を見てから、潜水橋へ行こうとしたのですが、Googleマップでは志染川を渡ったほうからアクセスするルートが...
三木市に弁慶の足跡という石碑が残されています。 三草の戦いで敗れた平氏は三木市を縦走して一の谷へ逃れた。平氏を追いかける義経・源氏も三木市を通って鵯越へ向かった。そのとき、弁慶の足跡が付いた、という石です。 石にくぼみは...
三木市の愛宕山古墳は古墳時代前期(4世紀後半)につくられた前方後円墳です。大きさは全長約91m、後円部の直径約55m、高さ約9m、前方部の長さ約38m、幅40m、高さ約5mで、兵庫県の前方後円墳では十番目の大きさがありま...
三木市にある本要寺を訪問しました。三木城が落城したあと、秀吉は本陣を本要寺に移し、自刃した別所長治の首実検をしました。秀吉は三木合戦によって四散した町民を呼び戻すために、三木を免租地とする制札を建てます。これが、義民のエ...
いなみ野台地は周りを加古川、美嚢川、明石川が流れていますが、これらの河川より30〜40m高く、その水を利用することができませんでした。また、この地方は瀬戸内海気候で雨が少なく、水の確保が常に問題でした。 江戸時代から疎水...
竹中半兵衛の墓は兵庫県三木市にあります。 竹中半兵衛は天正六年から八年(1578〜1580)に行われた三木城攻めの最中、天正七年(1579)に亡くなりました。36歳でした。臨終の際、秀吉を将来の天下人と予言して息を引き取...