三木市にある如意山金剛寺は法道仙人によって白雉2年(651)に開創されたお寺です。
秀吉による三木城攻めの際、平田砦の戦いで討ち死にした谷大膳の位牌が納められているという話を見つけたの訪問してみました。
坂道を登っていくと、金剛寺の手前に大きな仏像が並んでいます。
株式会社平安美術という仏像などを作る会社の工場でした。
奥に立っている大型仏像などは迫力があります。
平安美術さんをすぎると金剛寺でした。
続いて本堂の方へ移動しました。
緑のきれいな参道を進みます。勢至菩薩様が馬に乗られています。迫力があります。
天長4年(825)、弘法大師が法道仙人の仙徳をしたって金剛寺にお参りされたときに、カヤの余木で薬師如来像を刻み一堂を建立したと伝えられています。
薬師堂の本尊はその薬師如来像です。
弘法大師がお作りになられた1200年前の像です。機会があれば見てみたいです。
鬼追殿に金剛寺の由緒が記されていました。
この事業がすべて願いの如く成就したので山号が「如意山」となり、金剛摩尼の法を修法してあまたの人々が千手観音の請願を祈念したので「金剛寺」と名付けられたとあります。
寺は天正6年から8年の三木城の戦いで焼失。
三木出身で豊臣秀吉の御伽衆になっていた大村由巳の尽力で草堂が再建。
寛文5年(1665)には本堂が再建されました。
その後、平成7年(1995)の阪神淡路大震災で建物は大被害を受けたが、再建をすすめ、本堂は平成12年に完成したということです。
インド僧・善無畏(ぜんむい)が金属王塔の前で、塔上に輝く瑞雲の中に現れた金文字を写し取ったものが「大日経」だという話があり、それを再現しようとしたもののようです。
この塔の前で合掌礼拝し、大日如来の働きを信じて深く祈りましょうということでした
法道仙人は当地を訪れたとき、異形の翁が現れ「仙人よく来れり。この峰の上に光り輝くカヤの霊木あり。よろしくこれを切取りて大悲の像を彫刻しまつるべし。われは毘羅神なり」と告げて消えた。仙人は多聞天と弁財天の導きによりカヤの木を発見し直ちに十一面観音像を刻み、難波宮におられた孝徳天皇に奏上し、一宇を建立して尊像を安置した