飾磨 恵美酒宮天満神社

恵美酒宮天満神社の御祭神は菅原道真公、恵美酒大神、住吉大神です。
姫路市教育委員会の説明看板には以下のように記されています。

もとは「戎の神」(漁業の神)を祭ったので恵美酒宮と呼ばれ、このあたりの町名の起源ともなった。
後に天満神(菅原道真)を勘定して合祀、境内には狛犬・灯籠・力石など江戸期の石造品があり寄進者名などが刻んである。神社の南方は江戸時代には船だまりになっていた。対岸には姫路藩の米蔵が建てられ、飾磨津と城下を結ぶ高瀬舟が往来していた。


神社の前には川が流れています。ここから船場川まで出て、お城まで荷物を運んだと思います。

鳥居
神門
拝殿
祭りの屋台練りを記す碑

飾磨は秋祭りが盛んな地区です。
屋台練りの碑には次のことが記されていました。

  • 神輿は正徳4年(1714) 大阪で制作され、氏子地区を巡行したのが神幸祭のはじまり。
  • 太鼓屋台の原型と考えられる神輿太鼓が享保2年(1717)、芸屋台としての檀尻の原型と考えられる丹鶴が享保3年(1718)に練りだされた。
  • 太鼓屋台としての屋台が嘉永4年(1851)から多数練りだされ、台場練りが生まれ、現在に継承されている。

屋台を練り担ぐ太鼓屋台としては最も古い歴史を持つようです。


恵美酒宮天満神社には、幕末に姫路藩が造った西洋式帆船 神護丸の絵馬があります。

長さ 49m、幅 8.2m、乗組員 23名、1200石積みの船です。
藩校 好古堂教授 秋元安民の建議により、飾磨津で造られました。

神護丸

ジョセフ・ヒコと一緒にのっていた船が遭難し、アメリカ船に救助され、米国に渡った乗組員(清太郎・源次郎・甚八・喜代蔵)が神護丸建造に加わりました。

姫路藩は彼らが異国で経験した船に関する知識を取り入れようとしました。
また、帆船を造る財力もあったのでしょう。