姫路飾磨 津田天満神社

津田天満神社のご祭神は菅原大神(菅原道真)、大歳神、賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)です。もとは大歳神をお祀りしていましたが、延喜元年(901)大宰府に流された菅原道真が津田の細江で船のとも綱を敷物の代わりにして休息したことから、菅原道真を主神としてお祀りしたといいます。神社の神社の別名は綱敷天神です。

馬場先から鳥居を見る
鳥居

天正八年(1580)羽柴秀吉の英賀城攻めにより社殿が延焼し、現在地に再建されたといいます。

拝殿
拝殿内部
奉納された絵馬

境内には多くの摂社があります。

海神社
厳島神社
山辺赤人神社

万葉集に
 風ふけば波かたたむとさもらひに
 都多のほそ江に浦かくりおり
という山部赤人の歌があります。
この「ほそ江」は飾磨の細江を示すと考えられています。

神社から少し離れた思案橋に津田天満神社のお旅所があります。

お旅所
菅原道真公の像

菅原道真公と山部赤人の歌碑が建っています。

菅原道真公歌碑
山部赤人歌碑

道真公の歌碑には「東風吹かば 匂い起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」が刻まれています。この歌は道真公が太宰の権の帥府に任命(太宰府への左遷)されたとき、家の梅の花をご覧になられて詠んだ歌とされています。「東風が吹いたら、太宰府まで届く匂いを起こせ、梅の花よ。主がいなくなっても春を忘れないでおくれ」と言う意味だと思います。
道真公左遷の地、太宰府天満宮には飛梅という梅の木があります。この梅の木は道真公を慕い、太宰府まで飛んでいったと伝えられています。


万葉集の山部赤人の歌に出てくる津田の細江は船場川河口の思案橋付近にあたります。
思案橋の名は、道真公がこの地に上陸し「陸路を行くか、海路を行くか」と思案されたので思案橋の名が生まれたとか。

思案橋

ここ飾磨が万葉集にも歌われる地で、菅原道真公との関係があったとは知りませんでした。調べてみると地元の歴史、言い伝えがわかって楽しいですね。