黒田官兵衛が初陣を飾った青山の戦い。
青山ゴルフ場内の千石池の手前(ゴルフ場の外)に、古戦場跡を示す石碑が建てられています。
戦いがあったのは黒田官兵衛が24歳、その妻 光姫(てるひめ)が17歳の時でした。
永禄十二年(1569)8月9日 播州龍野城の赤松政秀が3000の兵を率いて攻めてきた。
案内看板より
当時、播磨は龍野城の赤松政秀、三木城の別所安治、置塩城の赤松義祐、室山城の浦上宗景、そして黒田家が仕えていた小寺政職が御着城にいた。
官兵衛の父 黒田職隆は仕えていた御着城主小寺政職とともに置塩城に籠城。
黒田官兵衛は姫路城から西に約1里の菅生川(すごうがわ 現夢前川)土器山(からわけ山 現船越山)に陣地を構えた。
多勢に無勢、一時は赤松軍に押されたが、敵の油断をつき300名の兵で夜襲をかけた。
不意を撃つ戦法で有利になり、英賀城からの援軍もあって、青山まで赤松勢を追い詰め、この青山の血が最後の決戦場になった。
この戦いで敵の首170をあげ、官兵衛は見事赤松軍を打ち破り初陣を飾った。
当時、攻めてきた赤松政秀は織田信長に味方していました。
その後、黒田官兵衛が織田方になることを考えると、歴史の流れは面白いと思います。
船越神社・船越山黒田軍陣地跡
官兵衛は船越山(土器山・からわけ山)に陣地を敷いていました。
青山の戦場から約3km東方にあります。
標高は60m。
官兵衛の時代、夢前川はこの山の下を流れていて、山の西側は急な崖で陣地にするには良い場所だったそうです。
今は船越神社が建っています。創建は明治30年です。
船越神社から船越山頂上の方へ登っていくと金毘羅宮があります。
そこから、金毘羅宮の脇の道を登っていくと、黒田官兵衛の陣地跡に着きます。
高さは低い山ですが、官兵衛の陣地からは周りがよく見えます。
デビュー戦(初陣)の青山合戦で勝った官兵衛。
秀吉の傘下に入り、黒田家を大きな家にしました。