大坂夏の陣・天王寺口の戦い 真田幸村の最期
慶長20年(1615)5月7日大坂夏の陣最後の戦いが天王寺で繰り広げられました。 茶臼山を本陣とした真田幸村他、豊臣方は55,000。対する徳川方は155,000。徳川家康をあと一歩のところまで追い詰めるも、力尽きた豊臣...
慶長20年(1615)5月7日大坂夏の陣最後の戦いが天王寺で繰り広げられました。 茶臼山を本陣とした真田幸村他、豊臣方は55,000。対する徳川方は155,000。徳川家康をあと一歩のところまで追い詰めるも、力尽きた豊臣...
賤ケ岳古戦場跡を訪問しました。羽柴秀吉と柴田勝家が戦った賤ケ岳の戦い。この戦いに勝った秀吉は天下統一に向けて大きな一歩を踏み出しました。 賤ケ岳山頂へは賤ケ岳リフトで登りました。片道約6分です。料金は往復で900円でした...
元久2年(1205)、鎌倉に向かう畠山重忠公が北条軍に討たれるという事件が起こりました。北条軍は北条義時を大将に数万の大軍勢。それに対する重忠公の軍勢はわずか134騎。数時間にわたる激闘を繰り広げたのち、重忠公以下134...
姉川の古戦場、小谷城を巡りました。 元亀元年(1570)、現在の滋賀県長浜市を流れる姉川で織田・徳川連合軍vs浅井・朝倉連合軍の合戦が行われた。戦いが始まった当初は浅井軍が織田軍を押しまくり、織田軍の13段の備えのうち1...
寿永4年(1185)に戦われた屋島合戦の跡を巡りました。一の谷から約1年後に行われた戦いです。一の谷で大敗した平家ですが、西国に基盤がある平家は屋島に内裏を築き、勢力を盛り返そうとしていました。源氏側では西国を抑えるため...
岡山市藤戸で源平の戦いが行われました。藤戸合戦です。 一の谷合戦で平家は破れますが、西国は平家の勢力圏で瀬戸内海の制海権を持っていました。その平家を追討するため、源範頼は軍を率いて西国に攻め込みますが、屋島から進出してき...
寿永2年(1183)10月、水島で源義仲と平家の戦いが行われました。このとき平家は、義仲の京都に攻め込まれたため都落ちし、屋島を拠点にしていました。平家追討のため屋島に攻め込もうとした義仲軍を平家が破った戦いです。 戦が...
源平合戦のあった山・三草山に登りました。 三草山は播磨小富士とも呼ばれ、標高 424 m の山。播磨と丹波の国境にあり、京都と播磨を結ぶ丹波道(国道372号線)が通っています。地理的重要性からしばしば合戦の舞台となりまし...
織田対毛利の戦いがあった上月城を訪問しました。 上月城は鎌倉時代末期(1300年代)に赤松氏の上月次郎景盛によって築かれました。上月城は播磨、備前、美作の境界に位置し、北には美作街道、東には鳥取と赤穂を結ぶ街道が通ってお...
黒田官兵衛が初陣を飾った青山の戦い。青山ゴルフ場内の千石池の手前(ゴルフ場の外)に、古戦場跡を示す石碑が建てられています。 戦いがあったのは黒田官兵衛が24歳、その妻 光姫(てるひめ)が17歳の時でした。 永禄十二年(1...