實貞山心光寺は黒田官兵衛の黒田家の菩提寺です。
黒田長政(官兵衛の息子)の時代に重隆公(官兵衛の祖父)、重隆公内室、職隆公(官兵衛の父)、職隆内室、孝高公(官兵衛)、友氏公(官兵衛の叔父)の位牌が納められています。
浄土宗 實貞山心光寺
説明看板より
心光寺の前身は佐土村(別所町佐土)の真言宗梨原寺で、御着城主小寺氏の菩提寺であった。しかし、政隆・則職が一向宗を信奉したことと、熱心な浄土宗信者であった職隆夫人 明石氏(官兵衛の母)の死去を契機として、職隆が梨原寺を浄土宗寺院に改宗・改築し、黒田家の菩提寺とした。
「 心光寺縁起」には「本尊阿弥陀仏、貳尺八寸立像、聖徳太子之作也。牛堂山国分寺塔中(塔頭)之本尊と伝へ」とある。
心光寺はその後、職隆が姫路城にうつるとともに佐土村から姫路に移され、慶長十三年(1608)池田輝政の町割りの際に坂田町(今の保健所の所)へ移された。しかし、昭和初期に国道2号線が境内を貫通し、戦後の復興事業により寺地が減少したため、平成2年(1990)11月、現在地に移った。
観音堂前には「底ふかくうつる心も光そふ ちかひの海の月のさやけき」の歌碑がありました。