安志藩陣屋

安富中学校校門前の安志藩陣屋跡の碑

姫路市安富町安志は江戸時代には安志藩でした。
藩主は小笠原氏。
享保二年(1717)から明治維新まで続きました。

安志藩は一万石だったので陣屋を持ちました。安富中学校は陣屋跡に建っています。

真光寺

陣屋の表門が真光寺の山門として使われています。
明治のはじめ、陣屋解体のときに移築されました。

山門
鐘楼
真光寺本堂

齋神社

陣屋の大手門が姫路市実法寺の齋神社の神門に使われています。明治の陣屋解体時に移築されたそうです。

斎神社神門

光久寺

光久寺は藩主小笠原家の祈願所です。
小笠原家の祖である小笠原長清の父 加賀美遠光(かがみとおみつ)が、承安三年(1173)に甲斐国で創建しました。その後、光久寺は小笠原家とともに松本、古河、飯田、松本、明石、龍野、中津、安志と移ってきました。
本尊は高倉天皇より下賜された不動明王像です。国の重要文化財に指定されています。

小笠原氏

小笠原氏は信濃国守護職を起源に持つ。 小笠原流武家礼法の名家です。
小笠原秀政は徳川家康の子 信康の娘を妻とします。関ヶ原の戦いの後、信濃の藩主となりました。
しかし、元和元年(1615)大阪夏の陣で真田幸村と戦い戦死。
その後、小笠原家は寛永三年(1626)龍野六万石、寛永九年(163)中津八万石の藩主となります。
五代目の藩主長邕が6歳で死去し御家断絶の危機に陥るも、幕府は大阪夏の陣で戦った功績を認め、3歳の長興を安志藩主として国替え、存続を許しました。

安志藩は長興から7代、享保二年(1717)から明治四年(1871)まで155年間続きました。