丹波・柏原陣屋
柏原の領主は幕府の天領時代をはさんで、2系統の織田家が務めました。最初は信長の弟・織田信包(のぶかね)の系統です。慶長3年 (1598)の 初代・信包の立藩から信則、信勝と三代続いたあと、嗣子が途絶え改易となります。慶安...
柏原の領主は幕府の天領時代をはさんで、2系統の織田家が務めました。最初は信長の弟・織田信包(のぶかね)の系統です。慶長3年 (1598)の 初代・信包の立藩から信則、信勝と三代続いたあと、嗣子が途絶え改易となります。慶安...
関ヶ原の隣の垂井町岩手に竹中半兵衛ゆかりの竹中陣屋跡があります。 垂井町岩手は竹中氏の本拠地で、陣屋を構えたのは半兵衛の子、竹中重門です。重門は関ヶ原の戦いでは東軍に味方し、戦後は徳川家の旗本として仕え、竹中家は明治維新...
江戸時代、丹波市柏原は織田家が治めた土地でした。織田信長の弟・信包から3代続きますが、嫡子がいなかったため御家断絶。その後、幕府の天領時代を経て、織田信休が柏原藩を再興。その後、明治維新まで柏原を治めました。 JR柏原駅...
姫路市網干に網干陣屋跡があります。江戸時代、ここは四国、丸亀藩の陣屋でした。 当時、網干は余子浜村、新在家村、興浜村に分かれて、余子浜村は幕府の天領、新在家村は龍野藩領、興浜村は丸亀藩領でした。 池田輝政の時代、播磨全体...
寛保年2年(1742)、越後高柳の藩主であった丹羽薫氏の所領替えにより三草藩ができました。藩主の丹羽氏は参勤交代をしない江戸詰めの大名だったので、藩士の多くは江戸に住み、三草にはここを支配する役人だけがいたようです。陣屋...
乃井野陣屋は宍粟市三日月に建てられた陣屋です。三日月藩は初代藩主・森長俊が美作から三日月に移った元禄10年(1697)に始まり、明治維新まで森家がこの地を治めました。 森家は織田信長に仕えた森蘭丸につながる一族です。初代...
江戸時代に一柳家が加東郡一万石を治めたときに、小野に陣屋を設けました。今は陣屋跡として小野小学校の校門横に陣屋跡の碑があり、その向かい側に一柳家の氏神である磐代神社が残っています。 陣屋のまわりに演武場、藩校などが並びま...
神河町の福本陣屋を訪問しました。播磨一円が全て姫路を中心とした一つの藩(姫路藩)だったと思っていましたが、それは江戸初期の話であって、時代が立つに連れ、小さい藩が生まれ、姫路藩も小さくなりました。一万石の規模の藩は陣屋と...
姫路市安富町安志は江戸時代には安志藩でした。藩主は小笠原氏。享保二年(1717)から明治維新まで続きました。 安志藩は一万石だったので陣屋を持ちました。安富中学校は陣屋跡に建っています。 真光寺 陣屋の表門が真光寺の山門...
江戸時代、今の姫路市林田に林田藩がありました。小さいながらも独立した藩です。藩主は建部氏。元和3年(1617)から明治維新まで続きました。 初代:建部政長 陣屋の建設、鴨池の築造など林田藩の基を作った。二代:政明 政長の...