林田藩陣屋跡

江戸時代、今の姫路市林田に林田藩がありました。
小さいながらも独立した藩です。藩主は建部氏。元和3年(1617)から明治維新まで続きました。

初代:建部政長 陣屋の建設、鴨池の築造など林田藩の基を作った。
二代:政明 政長の三男。
三代:政宇 政長の五男。寺社奉行を務めるなど幕府で活躍。
四代:政周 政宇の次男。
五代:政民 政周の長男。
六代:長教 政民の長男。
七代:政賢 政民の四男。藩校・敬業館を開校。天明の大飢饉による百姓一揆が起こる。
八代:政醇 政賢の四男。
九代:政和 政醇の長男。敬業館の教授として河野鉄兜を招く。
十代:政世 政和の長男。明治維新を迎える。いち早く新政府側に恭順した。

建部神社

建部神社では初代林田藩主・建部政長がお祀りされています。

林田中学校の隣にある建部神社の鳥居
聖ヶ丘の方へ進みます

参道には播州林田を示す碑があります。
上の図が陣屋城下町、下の図が林田貴布祢大明神境内の図で、林田藩領を表しています。
陣屋城下町には三木屋敷が「御下高 一万石百姓也」と書かれていて、三木屋敷が大庄屋だったことが示されています。

文化10年(1813)に創建され、現在の社殿は平成2年(1990)に再建されたものです。

建部神社

聖ヶ丘梅林

神社の横に聖ヶ丘梅林があります。時期が悪く花は咲いていませんでした。次は梅が咲くころに来たいと思います。

聖ヶ丘梅林

林田陣屋跡

梅林を抜けると林田陣屋跡に着きます。

初代林田藩主・建部政長は大阪冬・夏の陣(1614、1615年)で尼崎城を守った功績により大名に取り立てられました。元和3年(1617)林田に1万石で入府。室町時代の後期に谷沢国氏が築城した窪山城の跡を聖ヶ丘として陣屋を建てました。

政長は水不足に苦しむ領民のために鴨池を築くなど農政に尽力します。
その後、林田藩は10代、250年間、明治維新まで続きました。

その間、三代・政宇は寺社奉行 に昇進。七代・政賢は藩校「敬業館」を建て藩士だけではなく庶民の教育を進めます。
林田藩の取り組みは姫路藩の名家老・河合寸翁の藩政改革のモデルになったと考えられるものがあるようです。

林田藩陣屋跡の碑
陣屋(窪山城)復元図
南北40m、東西60m、高さ10mの平山城

林田藩は小さい藩であったけれど、スマートに政治を進めたようなイメージがしました。