祝田と書いて「はふりた」と読みます。
祝田神社がある林田の地名は祝田から変化したものといわれます。
祭神は罔象女神(みずはのめのかみ)、高寵神(たかおかみのかみ)。どちらも水の神様です。
創建年度は不明ですが、社記によると景行天皇の御代(4世紀前半)、日本武尊が熊襲征伐のとき播磨灘で台風に遭い、当社に祈り、浪が静まったとあります。
田んぼの向こうに見える赤い鳥居が祝田神社です。
神門の額は「貴船社」です。寛治七年(1093)に、この辺りが京都の賀茂別雷神社領になったとき、貴船神が勧請され、貴船社と称されていたそうです。
多くの絵が奉納されています。古い絵も多いのだと思います。
日本武尊(やまとたける)の像がありました。海を見て、波が静まるのを持っています。
日本武尊の母は播磨の稲日大郎女(印南別嬢)です。
稲日大郎女は景行天皇と結婚し、日本武尊を生みます。その経緯は略奪婚のように思えます。
加古川にある日岡御陵が稲日大郎女の墓と比定されています。
林田藩主、建部公が寄贈した石灯籠が残っています。三代藩主 建部政宇が正徳四年(1714)、七代藩主 政賢が享和二年(1802)、八代藩主 政醇が天保九年(1838)に寄進したものです。
歴史のある神社でした。
祝田(はふりた)という呼び方、海からずっと離れたところなのに、海にまつわる話があるのがおもしろいと思いました。