日岡神社・日岡御陵

日岡神社、日岡御陵を訪問しました。
日岡神社は安産の神様として知られています。
前方後円墳の日岡御陵は景行天皇の后、稲日大郎媛の墓と言われています。

日岡神社

日岡神社の主祭神は天伊佐々彦命(あめのいささひこのみこと)です。
景行天皇の皇后 稲日大郎媛(いなびのおおいらつめ)は大碓皇子(おおうすのみこ)・小碓尊(日本武尊)の母とされています。

日岡神社への入り口

日岡神社が安産の神様とされるようになったのには、次のエピソードがあります。

主神は天伊佐々彦命(あめのいささひこのみこと)です。景行天皇の皇后稲日大郎媛(いなびのおおいらつめ)が御懐妊された時、最初の皇子が大変難産だったため、七日七晩天伊佐々彦命が安産を祖神に祈願したところ、無事御出産されました。このことから「安産の神様」としてその名を馳せ、播磨随一の大社となりました。現在も安産祈願や御宮参りなど参拝者が絶えません。社殿に向かって右側手前に日岡 御陵への表参道があります

「わがまち加古川60選」より
神門
拝殿

参道にはマスコットキャラクターの安授姫とタケルくんがいました。ふたりとも可愛らしいです。

安授姫とタケルくん

日岡御陵

播磨風土記に稲日大郎媛(印南別嬢)と景行天皇の結婚の物語があります。

景行天皇が印南別嬢に求婚したとき、別嬢は南毘都麻島(まびつましま・高砂/加古川河口)に隠れました。天皇は賀古の松原(尾上の松のあたりか?)で別嬢を探します。すると白い犬が海に向かって、吠えました。この犬は別嬢のペットでした。別嬢の居場所を見つけた天皇は別嬢を連れて変えることに成功し、二人は結ばれます。

この話は、播磨が大和朝廷へ服属したことを示していると考えられています。

何年かのち、印南別嬢が亡くなります。
その時の話が、日岡御陵を「ひれ墓」と呼ぶいわれとなっています。

日岡御陵

日岡山公園内にある大きな前方後円墳が、日岡御陵です。景行天皇の后、稲日大郎媛のお墓だといわれています。皇后が亡くなられた時、日岡山へ葬るため遺体を乗せて印南川 (加古川)を渡っていた時、大きなつむじ風が吹いて船は転覆しました。後に「ひれ」と「そしげ」だけが見つかり、これを葬ったので「ひれ墓」とも呼ばれています。眺望がすばらしく、秋になれば日岡神社への参道には萩の花が咲き誇ります。

「わがまち加古川60選」より

残念なことに日岡御陵は学術調査がなされていないそうです。
調べたら、新たな発見があるかもしれません。