姫路・見星寺

姫路市材木町に見星寺というお寺があります。

姫路藩主・本多政朝が祖母・見星院の菩提を弔うために開創したとされています。
祖母・見星院とは織田信長の娘・徳姫のことでした。
徳姫は徳川家康の嫡男・信康に嫁ぎ、2人の娘を産みます。
娘の一人、熊姫が本多政朝の父・本多忠政の正室です。。

見星寺

男性ではなく、女性を通じた人のつながりは面白いと思います。

見星寺の山門を入った所に、寛延2年(1749)に起きた船場川の洪水の犠牲者を弔う碑があります。
寛延二年大洪水流死菩提所碑といいます。

寛延二年大洪水流死菩提所碑

姫路市教育委員会の説明板によると
「寛延2年(1749)7月、大雨により船場川取水口の大樋が決壊。城下をはじめ流域は大洪水に見舞われ死者337人(うち船場の死者322人)の大惨事となった」
とあります。

寛延2年は年の初めに藩主・松平家に対する大一揆が発生。春には松平氏に代わり、前橋から酒井家が姫路に移ってきた年でした。
姫路に来たばかりの酒井家にとっては、本当に大変な出来事だったでしょう。

この洪水で、家老の川合定恒は避難してきた庶民を独断で姫路城内に収容し、米蔵から備蓄米を与えるという大活躍をします。川合定恒は姫路藩を立て直した名家老・河合寸翁の祖父です。
後に寸翁が活躍できたのも、こういう祖父の活躍が受け継がれていったおかげかも知れません。