梅が岡 河合寸翁墓所

仁寿山 梅ヶ丘に河合家の墓所があります。
仁寿山は寸翁が藩主 酒井忠実より与えられた山で、寸翁は私学校 仁寿山黌を建てています。

墓所には河合寸翁、祖父の河合定恒、父の河合宗見、息子の河合屏山といった河合家の人々が埋葬されています。

墓所への入り口にある石碑

石碑の横の道から入り、山を少し登ると
河合家墓所に着きます。

土塀の中に入ると墓石が並んでいます。

配置図

河合寸翁の墓の裏には寸翁の業績がびっしり刻まれています。

河合寸翁の墓

祖父の河合定恒の墓には寛延四年七月十日卒と刻まれています。
貞恒が本多民部左衛門、大塚又内を斬殺して自害した日です。

河合定恒の墓
河合屏山の墓
墓所前の石灯籠

河合定恒は寛延二年(1749)の船場川大洪水のとき、避難してきた庶民を城内に入れるとともに、蓄えられていた米を提供し、避難民を救いました。
この石灯籠は河合定恒の徳を偲び、定恒の百回忌に船場町から寄進されました。
定恒は、姫路市花田の加納神社でも、村を救ったということで祀られています。

河合寸翁だけではなく、父の宗見、祖父の定恒、養子の屏山。河合家の人たちは素晴らしい人だったと思われます。