姫路・加納神社

姫路市花田に加納神社があります。この神社は姫路藩家老・河合寸翁の祖父に当たる川合定恒と関係がある神社です。

姫路市webマップには加納神社について次のように書かれています。

加納神社のご神体は地蔵尊。古宮愛宕社の本地仏が勝軍地蔵であることから、この地蔵の霊夢を感じて加納田の開発を遂げ、且つ溝筋を教示されたことから地蔵尊の像を彫み、これを加納大神として奉斎した。

姫路市webより

寛保元年(1740)から姫路藩主となった松平家の時代、連年の暴風と凶作、さらに松平家の失政で経済はボロボロでした。
寛延元年(1748)、松平家の圧政に反抗して姫路藩で大一揆が発生します。
翌年の寛延二年(1749)、ようやく一揆は収まります。その年、松平家に代わり酒井家が藩主になります。

加納神社

新しく姫路藩主となった酒井家は公金貸与と年貢減免で、村を救済します。
翌年、村人はこれを記念して本覚寺の前に祠(行者堂)を建て藩主・酒井忠恭、家老・川合定恒、代官・金澤清右衛門を祀りました。
また、行者堂には村の疲弊を代官・金澤清右衛門に訴えた先達法印長太夫の木牌があるそうです。

行者堂

酒井家は松平家の失敗を見て、教訓にしていたのではないでしょうか。
とはいえ、実際にそういうふうに動ける、実行できるというのは、民を思う気持ちが根底にあったのだと思います。