姫路・加納神社
姫路市花田に加納神社があります。この神社は姫路藩家老・河合寸翁の祖父に当たる川合定恒と関係がある神社です。 姫路市webマップには加納神社について次のように書かれています。 加納神社のご神体は地蔵尊。古宮愛宕社の本地仏が...
姫路市花田に加納神社があります。この神社は姫路藩家老・河合寸翁の祖父に当たる川合定恒と関係がある神社です。 姫路市webマップには加納神社について次のように書かれています。 加納神社のご神体は地蔵尊。古宮愛宕社の本地仏が...
九所御霊天神社にお参りしました。御祭神は少彦名命、大山祇命、経津主命、菅原道真、大物主命、猿田彦命、柿本人丸、誉田別命、大鷦鷯命の九柱。神社のホームページには次の由緒が述べられています。 創立年代は定かではありませんが、...
仁寿山 梅ヶ丘に河合家の墓所があります。仁寿山は寸翁が藩主 酒井忠実より与えられた山で、寸翁は私学校 仁寿山黌を建てています。 墓所には河合寸翁、祖父の河合定恒、父の河合宗見、息子の河合屏山といった河合家の人々...
姫路藩家老 河合寸翁の事業の一つに東山焼(とうざんやき)があります。 東山焼は河合寸翁の時代、姫路市東山(ひがしやま)で始まりました。 その後、姫路藩御用窯に指定され、窯は男山山麓に移り、京焼、伊万里焼の技術を取り入れた...
姫路藩家老 河合寸翁の事績の一つである西光寺野に行ってみました。 西光寺野は、市川と平田川に挟まれた姫路市から福崎町にまたがる南北8kmの台地です。台地なので水の確保が難しく、本格的に開発が進んだのは明治以降で、河合寸翁...
姫路藩では固寧倉(こねいそう)という食料備蓄庫が作られていました。 酒井家はすでに前橋藩時代の貞享2年(1685)低利貸付制度である社倉法を実施し、寛延2年(1749)姫路転封から9年の後当地でも施行していた。文化6年(...
姫路藩家老の河合寸翁は借金に苦しむ姫路藩を救い、姫路の基礎を作りました。 文化五年(1808)、42歳で姫路藩の諸方勝手掛となり、藩政改革に挑みました。73万両の借金を10年ほどで返済しています(73万両は藩の実収入の7...
仁寿山黌は姫路酒井家家老・河合道臣(寸翁)が建てた私塾です。 文政四年(1821)藩政改革の功績により藩主酒井忠実から幡下山(はたしたやま)を与えられ、仁寿山黌の建設を開始し、翌文政五年(1822)に仁寿山黌は完成してい...
姫路市材木町に見星寺というお寺があります。 姫路藩主・本多政朝が祖母・見星院の菩提を弔うために開創したとされています。祖母・見星院とは織田信長の娘・徳姫のことでした。徳姫は徳川家康の嫡男・信康に嫁ぎ、2人の娘を産みます。...
高砂にある申義堂は町民子弟の教育の場として設けられた学問所です。高砂町大年寄 岸本吉兵衛の願いを聞き入れ、姫路藩 家老の河合寸翁が設立を建議しました。藩と民間が費用を出し合って申義堂は運営されました。「申義」の意味は義を...