白國神社は女性の守護神、安全の神。
創建はなんと213年!
御祭神は神吾田津日売命(かんあだつひめのみこと)、、稲背入彦命(いなせいりひこのみこと)、阿曽武命(あそたけるのみこと)。
神吾田津日売命は木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)のことです。
明治中期まで白国氏が神官として75代続き、稲背入彦命が初代白国氏、阿曽武命が3代目ということです。
姫路市が発行した「明治のかたりべ」という本に「高富媛の伝説」として白國神社の物語が語られています。要約すると、次のような話です。
- 第十二代景行天皇の皇子、稲背彦命は針間別(播磨の長官)として雌鹿間野(現白国)に宮を造り、国を治めていた。
- 稲背彦命の孫の阿曽武命は、神功皇后の朝鮮征伐で活躍。佐伯直の姓と土地を賜わり、雌鹿間野を新羅訓(しらくに)と改名した。
- 阿曽武命の妻高富媛が大変な難産で苦しんだ。
- 阿曽武命は車谷山(広峰山)に登り、神吾田津姫(木花咲耶姫)を祀って一生懸命祈った。
- すると、どこからともなく美しい女があらわれた。
「私は神阿多津姫(木花之佐久夜姫)。あなたの祈りは私の住む高千穂にまで通じた。 あなたの願いを聞きいれ、奥様が安産されるようお助けしよう」
女神は白幣を高く捧げて、左右を祓い、空高く投げ上げた。すると、白幣はどんどん飛んでいき、白幣山に留まった。そして、女神は消えた。 - 命が急いで宮へ帰ると、玉のような男の子が生まれていた。
- 阿曽武命は、妻の安産をよろこび、庫谷山(広嶺山)の麓にお社を建立し、神吾田津姫を祀った。
- そののち稲背入彦命と阿曽武命を合祀し、二十一世の子孫佐伯芸胡多が、天平宝字二年(758)新羅訓を白国と改め、白国々主明神と呼んでお祀りした。
- 白國神社は現在も安産の神様として信仰を集めている。
この話から、阿曽武命が妻高富媛のために必死に祈ったことが感じられます。
医学が発達していなかった昔、難産を助けるために神様へ祈るしかなかったでしょう。そして、祈りが通じると、神の助け、神の力を感じと思います。それは、今も同じかもしれません。
随身がおられます。
神門の向こうに石鳥居があり、安産祈願の撫で戌がおられます。犬は安産のシンボル。このなで戌様はかわいらしい子犬のようです。
令和3年は皇紀2681年。今年の本厄は昭和36年生まれの人です。気をつけましょう。
※ 皇紀:神武天皇が即位された年を紀元とした紀年法。古事記、日本書紀の記述から、明治政府が紀元前660年を紀元とした。
池鯉鮒社の御祭神は三穂津姫命です。
もとはマムシよけの神様で農耕作業の安全を祈る神様でしたが、今では学問、縁結び、その他すべての願いをかなえてくれる神様です。
拝殿の脇にアマビエが描かれていました。ちょっと若い女性のようなアマビエさんです。
コロナ退散!
享保14年(1729)に建設された八幡社は白國大明神を祀る本殿だったということです。
昭和10年に白國神社が県社に昇格されたことを祝って現本殿を新築した際、現在地に移して八幡神を勧請したものと伝えられています。
神社の近くにある弁天池一帯は奈良時代の寺院あと(白国廃寺)と伝えられています。
白國神社がある白国という地区は、新羅から来た渡来人が開いた土地だと言われています。
麻生山の近く、四郷明田には新羅神社があり、これは新羅から来たの人たちが創建したという神社です。
古代の姫路は渡来人が多いコスモポリタンな地域だったようです。