桜井市にある等彌神社には背後に控える鳥見山で神武天皇が霊畤(まつりのにわ)を行ったという伝説があります。
等彌神社の創建については不詳ですが、延喜式神名帳には等彌神社が記載されていて、1000年を超す歴史を持つ神社です。
延喜式神名帳
延長5年(927)に作られた延喜式の巻九、十に記された全国の神社と祭神の一覧。神社は2861社、祭神は3132座が記載されている。
鳥居の近くに大きなたぬきの像と子宝石がありました。
たぬき像には、見守り、気配り、笑顔、徳、信用、金運、末広がり、冷静・大胆の8つの縁起(八相縁起)があり、夫婦円満の願いが込められているようです。
子宝石は、その形そのものが子宝を象徴しているのだと思います。
先に進んで、石鳥居をくぐって中に入ると別世界です。
参道脇の石燈籠、木々の緑。いかにも神様がいると思わせる雰囲気がありました。
参道を進むと下津尾社です。
下津尾社には八幡大神、春日大神がおまつりされています。
明かりがついた灯籠が幻想的な感じがします。紅葉の時期はライトアップされ、もっと素敵な光景になるようです。
次に上津尾社です。
上津尾社には天照大神がおまつりされています。
上津尾社を下ったところに鳥見山頂上への登山道入口があり、神武天皇の霊畤跡まで行くことができます。鳥見山の標高は245メートル。ここから距離にして1000メートルです。
神武4年、神武天皇は鳥見山に霊畤を設け、国で採れた新穀や産物を供えて皇祖天津神をまつり、大和平定と建国の大孝を述べられました。
これが大嘗祭、新嘗祭の起源と考えられています。
等彌神社の鳥居から少し南に行ったところに神武天皇聖蹟鳥見山中霊畤顕彰碑が建っています。
昭和15年の紀元2600年奉祝事業として、神武天皇ゆかりの地に建立された碑です。全国に19の碑があり、桜井市にはこの鳥見山中霊畤顕彰碑と磐余邑顕彰碑、狭井河之上顕彰碑の3つがあります。
実在を疑われている神武天皇ですが、あれだけのストーリーをすべて空想で生み出したとは考えにくいし、各地に東征の伝承が残っていることから、何らかの出来事があったと思いたいです。